この記事では、江戸川競艇場で無類の強さを誇り、「江戸川鉄平」との異名を取る石渡鉄平(いしわた・てっぺい)選手について取り上げます!
石渡鉄平選手は、若手ホープの石渡翔一郎選手の実の父親であることも有名です!
この記事では、「日本一の難水面」と言われる江戸川競艇場を大の得意とし、また石渡翔一郎選手の父親でもある石渡鉄平選手について、じっくり紹介していきます!
石渡鉄平選手とは
石渡鉄平選手は、1974年生まれ、千葉県市原市出身です。
木更津高校を卒業後、1994年に競艇選手としてデビューしました。
東京支部所属、登録期は74期、登録番号は3716。
デビューから2年後の1996年に江戸川で初優勝、そして2010年の江戸川大賞でG1初優勝。
全国唯一の河川の競艇場であり、日本一の難水面と呼ばれる江戸川を得意としており、「江戸川鉄平」という異名で呼ばれるようになりました!
これまでG3以上のレースは、G1を5回、G3を8回優勝(SGとG2は優勝なし)。
ちなみに5回のG1優勝の内訳は、江戸川が3回、平和島・蒲郡が1回ずつです。
蒲郡で優勝したのは2024年6月の周年記念でしたが、「東京以外でもやれるところを見せられて良かった」とコメントしていました。
江戸川では無敵の「江戸川鉄平」
かつて、「博多ん大将」「博多天皇」と呼ばれた八尋信夫という選手がいました。
福岡支部の所属で、福岡競艇場では無敵の強さを誇る一方、他場では普通の選手という、徹底した内弁慶の選手として有名でした。
そして、現代版・八尋信夫が、この石渡鉄平選手です!
「江戸川鉄平」の異名のとおり、江戸川競艇場では圧倒的な強さを誇ります。
2024年7月時点で、出走数300回数を超えている競艇場でのデータは以下の通り。
東京支部につき江戸川に斡旋されることが多いですが、ダントツの成績を残しています!
江戸川競艇場の難しさ
江戸川競艇場は一般河川を使っているので「川の流れ」があり、普段は川上→川下へ流れているのですが、河口に近い江戸川では、満潮になると逆に川下→川上へ流れることがあります。
この「川の流れ」が江戸川の特徴で、「日本一の難水面」と言われる理由でもあります。
競艇は、ただでさえ風向き一つ有利・不利が変わるのに、そこへ「川の流れ」という要素が入るのですから、選手としてはたまったものではありません。
ちなみに風についても、河口付近なので海風が吹いたり陸風が吹いたりで水面が荒れることが多く、江戸川は波があって当たり前と言われています。
江戸川の場合、主催者側も荒れた状況には慣れているので、他場なら中止にする状況でも中止にしないことがあります。
正常にスタートを切って、無事に完走することも難しいというケースもあるようで、「江戸川だけは斡旋拒否」という選手もいるとか・・・
石渡選手は江戸川でなぜ強い!?
そんな江戸川を攻略するには、まず「川の流れ」によるスタート勘の狂いを、ひたすら練習して身に着けるしかありません。
風向きも考慮しなければならないので 下流+追い風、下流+向かい風、上流+追い風、上流+向かい風という4パターンを練習する必要があります。
これだけのパターンを練習するには、前検日だけでは時間が足りません。なので、江戸川を普段の練習場にしている選手に有利なわけです。
次に、波の対策ですが、波が怖いのは乗り上げてしまうから。
波にあたっても乗り上げなければ良いわけで、艇の前方に重心をかければ波を突っ切れます。ですが、昨今は艇の後方に重心をかけるスタイルが流行っており、前方に重心を移すには練習が必要です。
石渡選手の場合、(極端な場合)頭を艇の前方に押しつけて体重をかけて波を乗り切っていますが、これは簡単にはできることではありません。
また、石渡選手のレースを見ていると、2マーク逆転が多いことに気づかれる方も多いと思います。実は、これは江戸川ならではの走法なのです。
川というのは一般的に中心部が一番深く、流れも強いです(川岸に行くほど浅く、流れも弱い)。
江戸川はホームストレッチは幅がない一方、バックストレッチは広いので、1マークで遅れを取った場合、思い切ってコースの一番端に近い所を走るのです。
大回りに回っているため距離的には不利ですが、端を走る選手はいないため他艇の航跡に邪魔されず、また川の流れが弱いので全速力で走れます。
また大外回りで回ってきた場合、2マークへの侵入角度は、内側の艇より余裕があります。ターン態勢、ターンの頂点をどこに持ってくるか次第で、2マークで先行艇のインを差すことも可能です。
先行艇が先に行って、インを差しても間に合わない場合は、逆に先行艇のすぐ横につけるような位置を取ります。すると、ツケマイと同じ効果を発揮させることができ、先行艇のペラによる推進力を弱めさせることができます。
こういった戦法を使うには、絶妙な角度での侵入が必要になり、これも様々な条件下で、身体で覚えるしかありません。これも江戸川が練習場の選手の特権でしょう。
こういった江戸川ならではのテクニックを駆使しているからこそ、石渡鉄平選手は江戸川で強いのではないかと思われます!
好きこそものの上手なれ!?
石渡鉄平選手は、1994年に多摩川競艇場でデビュー。
その時の選手挨拶で、なんと「僕は江戸川が大好きです。将来は江戸川で勝てるような選手になります。」と言ってしまったとか。
本人としては抱負を語ったつもりですが、慌てたのは多摩川の職員。「ここは多摩川だから」と止めに入ったそうです。。
東京支部の競艇場は、平和島・多摩川・江戸川の3つですが、難水面の江戸川で新人をデビューさせることはまずありません。
そのため多摩川でのデビューでしたが、デビュー当時から頭の中には江戸川しかなかったらしいことが分かるエピソードです!
江戸川は、一般観客席が石の階段であり、専用駐車場も無いので、開催日には周辺住民が臨時で空き地を貸出して車を止めさせています。
一般河川をコースとしており、生活ごみが流れてきてプロペラに絡まったり、貨物船が通過するまでレースが待ちになるなど、他の競艇場では見られない光景もあります。
その独特の雰囲気から「どぶ川競艇場」とも呼ばれたりしますが、とにかくユニークな存在であることは間違いありません!
競艇ファンにとっては妙に居心地も良く、「競艇は江戸川だけでやる」という人もいます。
ボートレーサーは、普段は自宅から最も近い競艇場で練習をして、かつその競艇場の斡旋が多くなりますが、千葉県在住の石渡選手にとっては江戸川が最も近い競艇場。
本人も、江戸川に一番多く斡旋されるであろうことは分かっていたと思いますが、このような独特の雰囲気を気に入ったことも、強さの一因かもしれません。
翔一郎選手と、素顔の石渡鉄平
石渡鉄平選手の息子は、ご存知、131期のボートレーサー養成所チャンプ・石渡翔一郎選手です(2002年生、登録番号5279、東京支部)。
翔一郎選手が「様々なレースを経験し、最終的には父である石渡鉄兵選手を超えたい」と語れば、蒲郡のG1後に鉄平選手が「息子の存在も心の張りになったし、去年の自分を超えられるように頑張ります」とコメントするなど、互いに意識しています。
なお翔一郎選手の師匠は若林将選手ですが、若林将選手は石渡選手の弟子ですので、3代にわたる師匠関係ということになります。
なお、石渡鉄平選手は、翔一郎選手以外のプライベートの公開は拒んでいますが、気さくでノリのいい性格のようです。
千葉県市原市に平屋建ての大きな家を構えており、近所の人から「ラグビーの五郎丸に似てる」と言われたのをきっかけに真似を始め、TV局からオファーが来るとヒゲを生やして出演したとか。
また、根っからのゲーマーで、家で酒を飲みながらゲームをしている時が至福の時間なのだそうです。
近頃はポケモンGOやドラクエウォークにはまっており、翔一郎さんいわく、「姿が見えないなと思ったら、大体ドラクエウォークやりに行っている」とか!