この記事では、競艇界のトップレーサーの1人である石野貴之(いしの・たかゆき)選手について取り上げます。
この記事では、競艇界のサラブレッドであり、ゴールデンレーサーの一人でもある石野選手について、じっくり紹介していきます!
*本記事は2024年1月現在の情報に基づきます。
石野貴之選手について
石野選手は1982年生まれ。出身は大阪府東大阪市であり、大阪支部に所属しています。
賞金王決定戦(グランプリ)はじめ、すでにSGを11回も制覇している、押しも押されぬトップレーサーです!
- オーシャンカップ:2010年・2015年・2016年
- ボートレースクラシック:2016年・2021年
- ボートレースオールスター:2017年・2023年
- グランドチャンピオン:2017年
- チャレンジカップ:2016年・2019年
- グランプリ:2019年・2023年
特にオーシャンカップは、SG初優勝を飾ったあと、なんと3度も優勝(同一のSGを初優勝→3冠達成は史上2人目)。2022年には10人目のゴールデンレーサーとして表彰されています。
さらに、2023年はオールスター・グランプリとSGを二度優勝、賞金獲得額1位となり、最優秀選手(MVP)に選ばれました!!
親子鷹レーサー
石野選手は、近畿大学付属高等学校では硬式野球部に所属し、主将を務めていました。
高校三年生の時、大学進学(+野球を続ける)か、競艇選手に挑戦するかを悩み、夏の高校野球大阪大会での敗退を機に、進路を父親の美好さんに相談したそうです。
美好さんは競艇の世界の厳しさを身をもって知っており、初めは大学進学を勧めたとか。しかし、幼い頃から父の背中をみて育ち、競艇選手への憧れを持っていると訴える息子に、ついには根負けしたとのことです。
その後、やまと競艇学校に入学し、競艇選手へのスタートを切った石野選手。練生時代のリーグ戦勝率は6.63(2位)を記録し、父親譲りの素質を垣間見せました。
登録期は90期で、登録番号は4168。
2002年5月、地元・住之江競艇場の「第39回スポニチ杯争奪なにわ賞レース」でデビュー。わずか1か月後には初勝利を記録しました。
翌年、2003年10月の宮島競艇場の「G3新鋭リーグ第19戦」で初優勝を飾ると、2004年初にはG1初勝利。
2005年にはSG初出場、2007年にはG1・新鋭王座決定戦で初優勝。6コースからのまくり差しを見事に決めての勝利が話題になりました。
そして、上で述べた通り、2010年のオーシャンカップでSG初優勝。
瞬く間に「浪速の新エース」としての地位を築き上げます。
2020年には24場制覇を達成していますが、38歳での達成は史上最年少。デビューから18年4カ月での達成は史上最速でした。
石野選手の師匠は、同じ大阪支部の原田智和選手。ベテランになった今は、浜本裕己選手などの伸び盛りの弟子がいることでも知られています。
ニックネームは「石野信用組合」!?
2010年4月、石野選手が「十三スポーツ」というブログに、自身ニックネームを依頼(その時のブログ記事がこちら)。
なんでも、これまで3回、ボートレーサーにニックネームを付けたブログのようです(長嶋万記→茶っきり娘、松田祐季→北陸のジャックナイフ、岡村仁→浪花のショットガン)。
そして、162通の応募の中から石野選手が選んだのは・・・なんと「石野信用金庫」!(その時のブログ記事がこちら)。
「大阪らしく面白く親しみやすいものにしました」と石野選手。
命名者の「ファンに信用される選手になってほしい」「安心して舟券を買える選手になってほしい」との思いに応えたい、とコメントしていました。
石野選手のレーススタイル
石野選手はオールラウンダーであり、無比の旋回技術を生かした高速ターンの名手。得意な決まり手は「まくり」であり、3コースからの1着率が2コースより高くなっています。
野球部で鍛えたのか、実力派レーサーだった父親譲りなのかは分かりませんが、レースのグレードが上がるほど仕掛けていくという強靭なメンタルも武器です。
また、とにかくモーターの引きが強く、ここぞと言う時にエース級のモーターを引き当てます。モーター整備力も高く、まさに鬼に金棒ですね。
平均スタートタイミング(ST)は0.16であり、安定したスタートで事故が少ないと言われています。
3連対率は総合で63.9%ですが、1コースが87.3%、次いで3コースが69.1%。弱いといわれていた2コースも66.1%まで盛り返しており、得意の「まくり」で、どこからでも狙える選手になったとの声も聴かれます。
石野選手のホームは住之江競艇場。淡水で水質が硬い一方、回りシロの広さなどからインコース有利なことで知られていますが、武器の高速ターンはこういった住之江の特徴から生まれたのかもしれませんね。
スランプからの脱出
そんな石野選手ですが、2020年~2021年は不調が続いていました。
2020年5月のボートレースオールスターでフライング。さらに、同年10月のボートレースダービーでもフライングを起こし、グランプリ出場を逃してしまいます。
B級降格も懸念されましたが、2021年3月のSGボートクラシックで優勝。ここでは、上で述べたモーターの引きの強さに救われたと言います。
しかし、翌月4月のダイヤモンドカップで途中帰郷、再び降格のピンチに。ここは一般戦で5連勝し降格を乗り切るも、5月のボートレースオールスターで妨害失格。
その後、G1レースの3期連続欠場(欠場理由は不明)などもありましたが、欠場前に出走数・勝率とも基準はクリアしており、事なきを得ました。
2022年以降は順調に活躍。2023年はチャレンジカップ終了時点で賞金ランキング4位、迎えたグランプリでは、プロ野球で日本一になった阪神タイガース・岡田監督にあやかり、開会式で“優勝”を“アレ”と呼んで優勝宣言。
トライアル2ndで2度の勝利を収め、グランプリ優勝戦の1号艇・ポールポジションをゲット。そして12月24日(日)12Rの優勝戦で見事なイン逃げを決め、宣言通り自身2度目のグランプリ制覇を達成しました!
2023年は結果的に、MVP(2回目)のほか、最多賞金獲得選手(2回目)・記者投票によって選出される記者大賞(2回目)も受賞して、見事3冠を達成。
これ以上ない成績で、完全復活と言って良いと思われます!
石野選手のプライベート
女性人気も高い石野選手ですが、2007年に一般女性と結婚されています。
お子さんは息子さん2人で、現在は4人家族だそうです。「家族がいないと、今頃レーサーは辞めていたかもしれない」とコメントしていました。
趣味は釣り・オンラインゲーム・SNS投稿(インスタのアカウントあり)。愛車はベンツだということです。