
突然ですが、平和島競艇場のレストラン「Bay Side」で食べられる「ペラ丼」というメニューはご存知でしょうか。
この「ペラ丼」、メニュー改定前は、実は「チルト3丼」というチャーシューカツ丼でした(さらにその前は「チルトサンド」というカツサンド)。
この「チルト3丼」や「チルトサンド」は、「Mr. チルト3度」と呼ばれた阿波勝哉(あわ・かつや)選手にちなんだ平和島の名物メシだったのです!

名物メシの由来になる阿波勝哉選手とは、いったい何者!?この記事では、平和島の人気者・阿波選手について詳しくご紹介します!
阿波勝也選手とは

阿波選手は1973年生まれ。登録番号は3857で、1996年にデビューしました。
東京支部所属で、ホームはもちろん平和島競艇場。彼が平和島のレースに出場すると、大量のご祝儀買いでオッズが偏ってしまうとも言われています。
2006年のボートレースオールスターのファン投票では、阿波選手の名前が無いことについて、抗議や苦情が殺到するくらいでした。
阿波選手の人気は、彼のレーススタイルから来ていました。
イン有利な競艇では、99%の選手は、「出来ればインが欲しい」と思っています。
しかし、阿波選手は「とにかくアウトコースが好き」という徹底したアウト屋で、6コースからトップスタートを決めて「まくり」を決めるという戦法に特化していました。
「まくり」は、いわば一発勝負(=1着か6着という結果になることが多い)。
阿波選手は、かつては何号艇であろうが大外の6コースに入っており、「6コースはもちろんこの人、○号艇、阿波勝哉!」と実況されるくらいでした。
このスタイルのため、舟は伸び重視の独特のセッティングがされており、チルトは常に最も伸びる3度でした(-0.5度~3度のうち、大きくするほど伸びが良くなるが、出足・回り足は悪くなり、舟は不安定になる)。

そのため、いつしか「Mr. チルト3度」の異名を取るようになりました!
当時の阿波選手の「まくり攻撃」は凄まじいもので、6コースからのまくり一本で9連勝するなど大暴れ。A1級で、SGにもよく出場していました。
阿波選手は「ピンロク」!?
こちらは阿波選手の艇番別進入コースの表ですが、圧倒的に6コースが多いことが分かります。

これだけ6コースから入り、伸び足だけのセッティングをしていれば、「トップスタート切ってまくり」が成功すれば1着、失敗すれば6着です。
こういった1着か6着かという選手を、「ピンロク」の選手と言います。

ホームランか三振かというスタイルに、ファンは魅了されました。
かつて「ピンロク」の選手は「一発決められたらまずい」とのことで、他の選手から相当に警戒されました。
阿波選手の豪快な「まくり」っぷりが、他の選手にいかに恐れられていたかを示す貴重な映像が残っています。
2007年8月に開催された第53回モーターボート記念競走(現・ボートレースメモリアル)の2日目、第3レースでのこと。
映像はこちらですが、レジェンド・今村豊選手(6号艇)が、阿波選手(2号艇)と対決することになり・・・
阿波選手はピット離れ直後から、もう大外回りの構え。
今村選手は6号艇でしたが、阿波選手に6コースを取らせまいと、なんとスロー勢に加わり6コースに陣取ったのです!!
スローで6コースとは前代未聞ですが、それをやってのけるのが今村選手の凄いところです(結局、阿波選手は5コースを走らされて負けてしまいました)。

一世を風靡した今村豊選手が、こんな手段を使ってでも警戒しなければならない存在だったのですね!
持ちペラ制廃止
しかし、2012年の「持ちペラ制廃止」は、伸び重視の独特のペラを使っていた阿波選手にとって大きな逆風となりました。
これまでの戦法が通じなくなり、成績が低迷。通算優勝回数は19回ですが(全て一般戦)、その全てが2012年以前です。
その後、長らくB級に甘んじることになりました(2012年以降、A2昇格はありましたが、A1には一度も復帰できていません)。
B級は、月に一般戦2回しか出られず、また阿波選手の戦法ではフライングも多くなるため、休みがちになりました。
そのため、レースのない日は建築現場で働いているそうです。
そんな阿波選手、近年はさすがに6コース一本ではきつくなってきたのか、艇番が合えば4コース・5コースに入ることも多くなっていました。
チルトについても、以前は「どんな水面状況でも3度」でしたが、近年は1度にしてくることもありました。
2025年、ついにアウト屋を卒業
そして、2025年9月に開催された一般戦「にっぽん未来プロジェクト競走 in 多摩川」で、阿波選手は以下のようにコメントし、正式にアウト屋からの卒業を宣言してしまいました。
9月13日には1号艇からの1着。なんと、インでの勝利は23年ぶり(2002年8月以来)で、通算のイン戦は競艇人生で16回目だったそうです。。
このアウト屋卒業の背景にあるのは、2025年5月からのルール改正です。

級別の最低出走回数や、フライングの罰則が厳しくなり、アウト屋の戦い方では上の級を目指すことが非常に難しくなりました。
阿波選手がアウト屋を辞めたことで、生き残った伝統的なアウト屋は、もはや小川晃司選手くらいしかいなくなってしまいました(下の記事では、阿波vs小川の対決も紹介しています!)。

阿波選手は長らく、6コースでの1着率ではトップを誇っています(引退した選手も含む)。
まくり一本勝負の選手はファンからしたら魅力的。興行的には仕方ないのかもしれませんが、ファンとしては、個性的な走り方をする人気選手が減ってしまうのは残念です。
阿波選手がかつての豪快なレーススタイルで勝つ姿を再び見たいものです。

阿波選手と同期の澤大介選手も、2021年にアウト屋からの引退宣言をしています。最近では菅章哉選手などがチルト3度で勝負しています。


