この記事では、競艇界の女子トップレーサーの一人である遠藤エミ(えんどう・えみ)選手について取り上げます。
この記事では、女子ボートレーサー初のSG制覇を成し遂げた遠藤選手について、その強さの秘密に迫っていきます!
*本記事は2024年1月現在の情報に基づきます。
遠藤エミ選手について
遠藤選手は1988年生まれ。出身は滋賀県の蒲生郡日野町です(位置は、琵琶湖からみて右下くらい)。
滋賀県立八幡商業高等学校を卒業後、競艇の道に入りました。登録期は102期(登録番号は4502)で、上野真之介選手・前田将太選手などが同期です。
支部は出身の滋賀支部に所属しており、ホームはびわこ競艇場です。
2008年5月、びわこの一般戦でデビュー。9月には初勝利し、翌2009年12月に初優出。2012年11月、鳴門で開催された一般戦で初優勝します。
その後、順調に実力を伸ばし、2017年12月にはクイーンズクライマックスでG1初優勝を決め、賞金女王となりました(なお、2021年と2023年のレディースチャンピオンでも優勝しており、G1は通算3回優勝)。
2021年から2023年にかけて、3年連続の賞金女王(通算4度目)であり、トップ女子レーサーの地位を不動のものとしています。
2022年のボートレースクラシックでのSG制覇
2022年3月21日、遠藤選手は、競艇界にその名を残す歴史的快挙を成し遂げます。
大村競艇場で開催されていたSG・ボートレースクラシック。
女子選手として初のSG予選トップ通過を果たし、準優戦も1着でゴールしていた遠藤エミ選手。女子選手としては、寺田千恵・横西奏恵(引退)の両選手に続く、史上3人目のSG優出でした。
そして迎えた3月21日の優勝戦。
1号艇から出走した遠藤選手は、コンマ07のスタートを決め、先マイから見事な逃げをみせて優勝。競艇史上、これまで約530人(当時)の女子レーサーがいましたが、遠藤選手は誰も成し得なかったSG制覇を達成しました。
インタビューでは、「歴史に名を刻みたいと思っていた。今までにないぐらいの緊張だったけど、緊張を感じながら逃げないようにと。エンジンは抜群だったので、本当に自分がミスだけしなければと思っていました。ガチガチで、レバー操作とハンドルは合っていなかった」とコメントしていました。
姉の遠藤ゆみ元選手について
ちなみに、遠藤エミ選手のお姉さんは遠藤ゆみさんといい、元ボートレーサーです(引退)。妹より後の107期で、同じく滋賀支部所属でした。
遠藤ゆみさんは、高校生の頃から競艇選手を目指していましたが、一度は断念して働いていたそうです。その後、年齢制限の変更をきっかけに合格、2010年11月にデビュー。
2017年8月開催のG3では、2R・3Rと遠藤エミ選手と姉妹での連勝が話題になりましたが、残念ながら2019年に引退。優出・優勝はありませんでしたが、通算34回の1着という成績でした。
妹の遠藤エミ選手に競艇を進めたのは、他ならぬ姉の遠藤ゆみさんでした。お姉さんなくしては、競艇の歴史に名前を刻んだ遠藤エミ選手は誕生しなかったわけです。
遠藤エミ選手は、お姉さんの思いも背負って走っているわけですね。
遠藤エミ選手の強さの秘密
女子選手でただ一人、SGレース制覇を達成した遠藤エミ選手。ここでは、その強さの秘密に迫ってみます。
メンタルの強さ
遠藤選手はインタビューで、「もう一人の自分がいて、常に自分を冷静に分析している」と語っていました。
競艇の世界は上下関係が厳しく、特にグレードの高いレースでは、強い選手が自分より経験の浅い選手にプレッシャーをかけてくるケースもよくあるそうです。
麻雀の名人としても有名な小説家・阿佐田哲也氏は、勝負に勝つコツとして「戦う前に相手にプレッシャーをかけ、血を酸性にさせること」と言っています。
実際にプレイする前から勝負は始まっており、相手を弱気にさせることが重要。相手をビビらせてしまえば、おのずと勝てるというわけです。ベテランの選手ともなれば、この点は必ず知っています。
遠藤選手もよくプレッシャーを感じるそうですが、「『あ、今、私はプレッシャーかけられてるんだな』と、もう一人の自分が客観的に状況判断をしてくれるので、感情的にならず冷静でいられる」そうです。
遠藤選手は天然というか、そんなもんかな、という具合に受け流すのが得意なようで、それが自然にメンタルコントロールにもつながっているようです。
レース開催中の数日間、選手はずっと同じ顔ぶれで過ごすわけですから、こういった選手同士の人間関係をうまくさばくことは予想以上に重要になります。
SGを含むグレードレースでは、特に女子選手は大抵、大きなプレッシャーにさらされています。遠藤選手の強さの理由の一つは、この点に対処できるメンタルの強さにあると思われます。
遠藤選手は1メートル55と小柄です。競艇に限らずスポーツの世界では、技術やフィジカル面で自分より上の人は大勢いるため、成功するにはメンタルのコントロールが必須になります。
プロペラの技術
平高奈々選手が以前、「エミはいつもペラを叩いている」とコメントしていました。
競艇のボートは、プロペラをエンジンが回して前進力を得ます。プロペラの形が良いと、スタートから1マークまでのスリットの伸びが良くなり、更にマークを回ってからの立ち上がり加速も速く、直線での伸びも大きくなります。
その形によってコースを一周するタイムが1秒~2秒も変わるため、選手にとってプロペラは命の次に大事なものとも言われています。
以前は、選手が自前のものを使用できる「持ちペラ制」でしたが、現在は、前検日の抽選で割り当てられたモーターに付属しているプロペラを自分で調整します。
選手は普段から、自分に合うプロペラの形を試行錯誤しています。一番良いと思った形(=エースペラ)をペラゲージというゲージに取り、それを元に、割り当てられたプロペラを調整します。
しかし、本人はエースペラだと思っていても、実はもっと良い形がある可能性が常にあります。一人で試行錯誤するのは限界があり、そんな時に頼りになるのが、師匠や支部の先輩です。
ペラ作りの上手い先輩が、同支部の若手にペラを作ってあげることはよくあります。ですが、選手はそれを公表はしません(ルール違反ではないが、他の選手への配慮もあるため)。
遠藤選手の師匠は深井利寿選手ですが、所属する滋賀支部には、「スピードマスター」の名を持ち、日本でも指折りのペラ巧者であるトップレーサー・馬場貴也選手が支部長を務めています。
気さくな性格で、後輩の面倒見が良いことで知られている馬場選手。ペラについても、アドバイスをしてくれるのは間違いありません。
滋賀支部のホーム・びわこ競艇場は、日本で一番標高が高い場所にあり、気圧が下がりエンジンのふけが悪くなります。滋賀支部の先輩達のペラ理論は、そういった悪条件を克服するための技術が詰まっているに違いありません。
その点、遠藤選手は、他支部の女子選手に比べて、優れたエースペラを手に入れやすい環境にあると言えます。
なお、理想的なペラに仕上げても、レースを走るうちにペラは水の抵抗で形状が変わってしまい、形が崩れてしまいます(これを「ペラが開いた」と言います)。全力で走ると、だいたい2周程度でペラは開いてしまうそうです。
1日1回走りなら良いのですが、2回走りの場合、レース後すぐに次に備えてペラ調整をする必要があります。SG常連クラスになると30分程度で終わるようですが、普通の選手は数時間かかるようです。
遠藤選手が「いつもペラを叩いている」のは、こういった理由からなのです。滋賀支部の先輩方の薫陶もあり、遠藤選手のペラ調整技術は、恐らく女子選手の中でもトップクラスと思われます。
ペラ理論は時代とともに進化しており、選手達は「よりよい形」を追及し続けています。女子選手で、その進化に追いついている選手は少なく、遠藤エミ選手はそういった選手の1人だと言えます。
身体能力の高さと運動神経の良さ
元プロ野球選手の方が、初めて競艇場へ訪れた際、たまたま女子戦をやっていたそうです。競艇のことは何も知らなかったのですが、あるレースの展示走行を見て、「あの選手は強いんじゃないかな」と思ったのが、遠藤エミ選手だったとか。
いわく、「ターンからの加速が、他の選手と全く違うように見えた」そうです。
特にグレードレースではモンキーターンで回るのが常ですが、ターンのポイントで足で艇の内側を蹴って、艇の角度を急激に変える必要があります。この蹴り足が弱いと、艇の角度が思ったほど変わらず、ターンが失敗してしまいます。
女子選手の場合、どうしても男子ほど強い蹴りが出来ない選手が多いですが、遠藤選手の蹴り足は相当に強く、タイミングもばっちりです。これは運動神経が良く、身体能力も男子に引けを取らないことを示しています。
ちなみに、遠藤選手は学生時代はソフトボールの選手で、守備位置はサードでした。サードというのはホームベースに近く、ノックの時には強く早い球が瞬間的に飛んでくるので、恐怖感を感じる守備位置です。
しかし遠藤選手は、そのサードでのノック練習を、「すごく怖いのが、とても楽しかった」と語っています。実は、この「怖いのが楽しい」というのは、運動神経に優れている人達に共通する感覚だそうです。
武道で心・技・体と言いますが、遠藤エミ選手は心(メンタル)・技(プロペラ技術)・体(運動神経と身体能力)とも優れており、これが彼女の強さを支えていると言えますね!