
この記事では、競艇界の若手ホープの1人、定松勇樹(さだまつ・ゆうき)選手について取り上げます!
デビュー時より行き足を活かした強気の攻めが魅力で、ターンの舟の返りを武器とし、狙って1着を取る決定力は5000番台随一と言われています。
2024年5月のボートレースオールスターでは、5000番台初のSG優勝を達成しました。

この記事では、峰竜太選手の弟子の1人であり、将来の競艇界を担う逸材である定松勇樹選手について、じっくり紹介していきます!
定松勇樹選手について

定松勇樹選手は、2001年5月2日生まれ、身長168cm。
出身は福岡市であり、小学校~中学校では水泳・野球、高校ではバドミントンをやっていたそうです。
ボートレーサー養成所には125期として入所し、2019年9月には修了記念競走で優勝。第37代養成所チャンプとなり、125期のトップレーサーとして知られるようになりました。
登録番号は5121、2019年11月にボートレース唐津でデビュー。
2022年9月、下関で行われた一般戦「ルーキーシリーズ第15戦スカパー!JLC杯」で初優勝後、2023年は一般戦で7回の優勝を記録しました。
級別については、2021年前期にB2→B1に上がり、A2→B1→A2と動いたあと、2023年前期からA1級に昇格。

2024年5月、「つるやパン提供 第9回みんな大好き!サラダパン賞」(びわこ)では、松井繁・池田浩二という強豪選手をまくって、初のG3優勝を果たします。
2024年5月・ボートレースオールスター
前述のG3優勝の際、次節のボートレースオールスターについて聞かれた定松選手。
「奇跡でもいいので優勝したい」とコメントしていました。
そして、2024年5月のボートレースオールスターには、3,249票を獲得して選出順位29位、唯一の21世紀生まれとして参加。
もともと多摩川を得意にしていること(開催前時点で17走で9回1着、勝率8.12)、さらに好モーター(32号機)にもサポートされ、快進撃を続けます。
なんと、予選をトップ通過し、準優戦でも順当に逃げ、優勝戦のポールポジションを獲得!
そして迎えた5/26(日)、優勝戦のメンバーは以下の通りでした。
上に書いた通り、これまで一般戦とG3でしか優勝経験はなく、SG・G1については優出を一度も経験していなかった定松選手。
しかし、SG初優出とは思えないコンマ12の好スタートを切ると、1マークでは完璧なターンで他艇を寄せ付けず、そのまま突っ走って見事なイン逃げ!

優勝後、ピットで待っていた師匠・峰竜太選手と涙ながらに抱きあったそうです。

登録5000番台で初のSG優勝者となった定松選手(23歳0カ月での優勝は歴代4位)。「本当に竜太さんが師匠で良かった」と感謝の言葉を述べていました。
峰竜太選手の弟子として
定松選手は福岡県出身ですが、福岡支部ではなく佐賀支部に入会しています。
これは、競艇界きっての最強レーサー・峰竜太選手に憧れたからです。
デビュー前には、「握って回るレースが武器なので、峰さんのような豪快なターンができる選手になりたい」とコメントしていました。
佐賀支部では、峰選手を中心とした峰軍団に入団。なお、師匠の峰選手は、定松選手を10年に1人の逸材と評しているとか!
今村豊氏も「いずれボート界を背負って行く選手」とのコメントだそうで、名実ともに次代の佐賀支部のエース候補です。

一方で、同じ峰軍団の末永和也選手は、1期上の124期のチャンプ。佐賀支部の未来も明るいですね!
最近の定松選手
2024年5月のオールスター優勝後、6月のグランドチャンピオンにも出場した定松選手。
得意の尼崎での開催であり、2開催連続でSG制覇の期待がかかりましたが、初日のレースで他艇が起こした事故に巻き込まれ、負傷・途中帰郷となってしまいました。
本人のSNSで「右膝の曲げ伸ばしが難しいレベル」とのことで心配されましたが、その後、無事に復帰し、7月末には一般戦で優勝を飾っています。
2024年12月のグランプリは、師匠の峰選手とともに参戦。師弟対決の実現など注目されましたが、結果は師弟ともにファイナル進出はなりませんでした。
峰選手は、「サダ(定松)に乗ってもらいたかった。来年また一緒にグランプリに来たい」とコメントしていました。
2025年はフライング休みなどもあり、優勝は一般戦しかありませんでしたが、2026年に入り、芦屋の周年記念・九州地区選手権と、立て続けにG1を優勝しています!

九州地区選手権のあと、「今年(2026年)は自分の年にしたい。(末永)和也さんと一緒にグランプリに行きたい。」とコメントしていました(なお「和也さんは心配しなくても行くと思うし、あとは自分次第」と付け加えていました)。
定松選手のエピソード

定松選手の好きな言葉は、「なんくるないさー」。
「やるべきこと・正しいことをくじけずにやっていれば、いつか良い日が来る」という意味の、沖縄の方言です。
努力を怠らず、焦らずに前進しよう・・・という定松選手の心構えを表しているようですね。
ちなみに、レースに行く前に必ずやることは、「家をきれいにしていくこと」だそうです。
天国で見守る父親に向けて

定松選手が競艇選手を目指し始めたのは中学1年生の時だそうですが、きっかけは父・寿行さんにボートレース福岡に連れて行ってもらったことだそうです。
定松選手にとって父親は、「何事にも真剣で、オンとオフがしっかりしている」憧れの存在で、とても尊敬していたそうです。
父・寿行さんは、定松選手が4度目の受検でボートレース養成所に合格した際、誰よりも喜んでくれたとか。
しかし、そんな父親は、定松選手が養成所を卒業する前の2018年8月、享年57歳で膵がんで他界してしまいます。
養成所チャンプになった際、定松選手は、「(父親が)合格してから体調がだんだん悪くなっていって・・・。だから、僕は要領が悪いんですけど、何とか頑張ろうと思った」とコメントしていました。

ボートレース好きだった天国のお父さんに、立派な競艇選手になった姿を見せてあげるべく、日々努力を続けているのでしょうね。

