競艇における事故は、どれだけ安全に気を付けていても、たまに発生しています。
選手たちは、このような大きなリスクを背負いながら、熱いレースを観客に見せてくれています。
この記事では、競艇で重大事故が起きやすい理由を検証するとともに、過去に事故で亡くなられた選手、事故例などをまとめています。
競艇で事故が起きやすい要因
競艇以外の公営競技においても、少なからず重大事故は発生しています。
ただ、2010年以降の死亡事故は、オートレースの2件、競輪の1件、競馬の0件に対して、競艇は5件も発生しています(2023年2月末時点)。
競艇に重大事故が起きやすい理由として、以下などが考えられます。
自然環境の影響を受けやすい
競輪や競馬、また同じモーター競技のオートレースは、地上の人工レース場において争われます。
一方、競艇の舞台は、人間が本来活動する地上ではなく水面。さらに、難水面と言われる江戸川や琵琶湖に代表されるように、自然の河川や湖を利用して作られた水面が多く存在します。
強風の日は水面が波立ちますし、水質によって水の固い・柔らかいが大きく異なります。
自然環境の影響を受けやすい競技であることが、競艇の事故の多さの一因と言えるでしょう。
他競技よりも軽装備
競艇で使用されるボートは、水上を時速80キロ(体感速度は120キロ以上)で走るうえ、選手もよりスピードを出すためプロペラを加工するなど、他艇に勝つため様々な工夫が凝らされています。
しかし、そんなスピードが出る競技にも関わらず、選手を守るプロテクターはさほど多くありません。
ここでは、同じくモーターを利用するオートレースと、身に着けている装備を比べてみましょう。
まずは競艇から。こちらは、ボートレース公式YouTubeチャンネルの1コマです。
出典:植木通彦のボートレースの秘密 レーサー装備の素材|ボートレース公式
元選手であり、自身もレースで大怪我をされた植木通彦氏が解説されています。
「えっ、たったこれだけ?」と思われる方も多いことでしょう。これに加えてヘルメットを着用してレースに臨んでいるイメージです。実際、ボートレーサーは、これだけの装備しか身に着けていません。
もちろん、プロペラ等により切れてしまわないよう、切れにくい素材が使われていたりはしますが、1キログラムにも満たない重さが勝負を左右する世界であり、あまり厚着するわけにはいかないのでしょう。
では、一方で、最高時速150キロのオートレースのウェアをみてみましょう。
出典:【超爆速】バイク乗りケンドーコバヤシがオートレース初体験!
体幹や腕、足に至るまで、かなりの重装備の全身プロテクターを身に着けているのが分かります。
スピードを考えれば、これだけの装備を身に着けることは当然と言えます。
恐らく、競艇は競技のリスクに比して軽装備すぎると考えられます。80キロのスピードで水面に叩きつけられた場合、地面にぶつかることと変わりませんし、落水した際、刃物のようなプロペラから選手を守るために十分であるとはとても言えません。
このことが、事故を重度なレベルに引き上げてしまっている一因と言えそうです。
競艇における事故
競艇の事故は、ターン時の①進入速度のミスと、②艇の接触、の2つが原因となる事故が多い、と言えます。
上でも触れましたが、競艇では時速80キロもの高速でターンマークへ向かい、ギリギリのところでターンしようとします。ターンのスピードと角度が合わなければ、ボートがひっくり返り、転覆してしまう危険性があります。
また、ターン時は最も艇が密集するため、接触が起きやすくなります。
接触や衝突、転覆などで選手がボートから飛び出してしまった場合、最大のリスクが発生します。それは、後続艇に轢かれてしまうこと。
いくら防護服を着てヘルメットを着用しているからといっても、相手は重量と速度を持った鉄の塊。
そして、刃物と変わらない鋭さの、高速回転するプロペラ。ぶつかればそれだけで危険です。
そのため、養成所では、何があってもボートのハンドルから手を放してはいけないと教えているそうです。
その他、ボートの不良などが原因で、壁に激突するなどの事故も起きています(2013年、鈴木詔子選手が練習中、発進後にコンクリート側壁に激突して死亡)。
事故で亡くなられた競艇選手
競艇では、一言で事故といっても、軽度な接触事故から選手の死亡事故まで、様々な事故が起きています。
2023年2月末現在、競艇の歴史において事故で亡くなられた方は33名(2016年に起きた女子訓練生の死亡事故を含めると34名)です。
事故年月 | 選手名 | 享年 | 競艇場 |
1953年1月 | 西塔莞爾 | 29歳 | 児島競艇場 |
1953年12月 | 横溝幸雄 | 34歳 | 唐津競艇場 |
1954年2月 | 大井手善信 | 20歳 | 唐津競艇場 |
1962年1月 | 中島常价 | 32歳 | 琵琶湖競艇場 |
1962年7月 | 小笠原政敏 | 28歳 | 鳴門競艇場 |
1963年7月 | 大西昭 | 31歳 | 常滑競艇場 |
1965年2月 | 川添一夫 | 35歳 | 若松競艇場 |
1965年3月 | 和泉定治 | 40歳 | 児島競艇場 |
1965年12月 | 中井紘司 | 24歳 | 芦屋競艇場 |
1968年5月 | 半田弘志 | 29歳 | 若松競艇場 |
1968年10月 | 中村五喜 | 34歳 | 唐津競艇場 |
1970年11月 | 蛇山清 | 23歳 | 鳴門競艇場 |
1972年11月 | 石塚一雄 | 35歳 | 平和島競艇場 |
1973年10月 | 池田博 | 52歳 | 多摩川競艇場 |
1977年9月 | 筒井博利 | 31歳 | 若松競艇場 |
1978年8月 | 一瀬隆 | 27歳 | 大村競艇場 |
1981年8月 | 花田龍美 | 34歳 | 大村競艇場 |
1982年1月 | 勝股勇 | 38歳 | 江戸川競艇場 |
1983年1月 | 安心院信行 | 30歳 | 三国競艇場 |
1985年1月 | 宮本力 | 37歳 | 江戸川競艇場 |
1989年1月 | 清水正博 | 23歳 | 桐生競艇場 |
1993年11月 | 水野定夫 | 48歳 | 江戸川競艇場 |
1997年9月 | 有吉貴之 | 27歳 | 津競艇場 |
1998年3月 | 伊藤公二 | 55歳 | 浜名湖競艇場 |
1999年11月 | 沢田菊司 | 48歳 | 平和島競艇場 |
2003年5月 | 木村厚子 | 38歳 | 津競艇場 |
2004年3月 | 中島康孝 | 26歳 | 尼崎競艇場 |
2007年2月 | 坂谷真史 | 26歳 | 住之江競艇場 |
2010年5月 | 岩永高弘 | 36歳 | 若松競艇場 |
2013年11月 | 鈴木詔子 | 52歳 | 下関競艇場 |
2020年2月 | 松本勝也 | 48歳 | 尼崎競艇場 |
2022年1月 | 小林晋 | 44歳 | 多摩川競艇場 |
2022年11月 | 中田達也 | 29歳 | 宮島競艇場 |
死亡した選手の平均年齢は約35歳。まだまだ若く、前途ある人材の命が失われました。
事故選手のエピソード
ここでは、不幸にも選手が巻き込まれた、レース中の重大事故を幾つか挙げてみます(事故後、見事に復帰を果たした選手もいますが、残念ながら命を落としてしまった選手も含みます)。
植木通彦選手
競艇ファンなら誰もが知る、レジェンド選手の一人である植木通彦氏。
1989年1月、桐生競艇場でレース中、1マークのターン時に植木選手のボートが転覆。後続艇のプロペラで顔を切り刻まれたことにより、植木選手は全治5か月・75針も縫う大怪我を負いました。
しかし、植木選手は不屈の精神で見事に復帰し、自身が掲げた「20年間競艇に貢献する」という目標を達成のうえ、引退されました。
ただし、植木選手のような例は非常に珍しいといえます。事故によって失明などの現役を続けられない怪我を負い、引退していった選手もいるのが現実です。
坂谷真史選手
坂谷選手は「銀河系軍団」と呼ばれる85期出身で、同期には田村隆信・湯川浩司・井口佳典・丸岡正典・田口節子など、そうそうたるメンバーがいます。
そんな同期たちに引けを取らず、若い頃から活躍し、将来を嘱望されていた坂谷選手。
2007年の住之江競艇場のG1・太閤賞で、激しい競り合いの中、他艇と接触して転覆。水面に浮上したところに後続艇に巻き込まれ、救急搬送。
集中治療室で治療を受けるも、脳幹裂傷及び頭蓋骨骨折の合併症により亡くなりました。
これからも活躍するであろう選手でしたし、夫婦でレーサーだったということもあり、翌日のスポーツ紙ではレース欄でなく社会欄に訃報が掲載されました。
なお、2004年の事故で亡くなった中島康孝選手、2022年の事故で亡くなった小林晋選手も、坂谷選手と同じ85期です。
大山千広選手
大山選手は、最も注目されている女子レーサーの1人です。
2015年のデビュー以降、快進撃を続け、2019年には賞金女王となりました。ボート界のニューヒロイン、アイドルレーサーとして今を時めく選手です。
そんな大山選手ですが、2022年10月のレースで他艇と接触。バランスを崩したところに後続艇が追突して落水、骨盤骨折の重傷を負ってしまいました。
幸い、命に別状はなかったものの、その後はしばらくリハビリ生活を強いられました。
どれだけ人気があろうと、実力があろうと、運の巡りあわせにより重大事故に巻き込まれる可能性はあることが分かります。
中田達也選手
中田選手も坂谷選手同様、将来のボートレース界を背負って立つと目されていた期待の若手でした。
養成所では7.69の高勝率をマーク。在校1位で、卒業記念レースでも優勝。艇王と呼ばれた植木氏と同じ小倉商高出身のため「植木の再来」と言われ、鳴り物入りでデビューしました。
デビュー後は、通算7度の優勝、G1で2度の優出などの実績を残し、2023年1月からは7点勝率でのA1復帰が決まっていた矢先のことでした。
2022年11月、宮島競艇場でのレース。ゴール間近の3周目のバックストレッチを航走中、左に斜行した際に隣の艇と接触して落水。後続艇と接触したとみられ、救急搬送されて治療を受けたものの、外傷性脳損傷で帰らぬ人となりました。
インを走っていただけに、どうしても連対だけはしたかったのでしょう。前を走る5号艇を追いかけており、3・6号艇と着順を競い合っている最中で起きた事故でした。
29歳という若さでの殉職には言葉もありません。ご冥福をお祈り申し上げます。
まとめ
今回は競艇における事故についてまとめました。
競艇における事故は、接触や衝突などが原因で起きることが多く、選手が密集するターン時などに起きやすい傾向があります。
重大事故につながる理由としては、自然環境の影響を受けやすい競技であること、スピードが出ている割に軽装備であることが、一因として挙げられるでしょう。
ボートレーサーとして華々しい活躍ができるのも、命あってこそ。選手たちには安全第一で、末永く活躍して頂きたいものです。
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