
この記事では、競艇界のトップレーサーの1人である毒島誠(ぶすじま・まこと)選手について取り上げます。

2025年のグランプリシリーズ制覇で、SGレース10回目の制覇となった超実力派の毒島選手。しかし、なんと2026年はB2級からの出発となります。
毒島誠選手について

毒島選手は1984年1月生まれ、出身は群馬県桐生市。
群馬支部に所属し、登録期は92期、登録番号は4238号です。
小さい頃はサッカーや体操をしており、特にサッカーでは選抜チームに選ばれて優秀賞を獲得するなど、運動神経はもともと良かったようです。
自宅近くに桐生競艇場があり、たまに連れて行かれることがあったものの、特に競艇には興味がなかったという毒島選手ですが・・・
桐生工業高校に在学中のある日、友達の叔父さんの家へ遊びに行くことになりました。
そこで、「君は体型的に競艇選手に向いている!」と言われたとか(毒島選手の身長は162センチ)。
その友達の叔父さんという人が、実は現役ボートレーサーの柴田光選手(68期、群馬支部)だったのです!
この一言が、毒島選手が競艇選手を目指すきっかけになりました。
高校卒業後に競艇学校を受験、見事に合格を果たします。好成績を残して卒業し、2003年5月に桐生競艇場でデビューしました。
デビュー10年目に迎えた転機
デビューから2か月後に初勝利、そこから3年後の2006年9月の一般戦で初優勝を飾った毒島選手。
そこから3年と少し経った2010年1月、G1を初制覇しました(第24回新鋭王座決定戦)。
しかしながら、2012年くらいまでの毒島選手は、G1優勝が1回、G2優勝が1回、G3優勝が4回と、あまり目立った存在ではありませんでした。
毒島選手は20代の頃について、次のように語っています。
転機が訪れたのは、デビュー10周年となる2013年のこと。
9月に開催されたモーターボート記念競走(ボートレースメモリアル)で、ついにSG初優勝。
それからの3年間はG1を5回優勝し、さらに2017年末からはSGを含めてグレードレースを怒涛のように勝ちまくりました!
- 第59回モーターボート記念競走(2013年)
- 第20回チャレンジカップ(2017年)
- 第23回オーシャンカップ(2018年)
- 第64回ボートレースメモリアル(2018年)
- 第65回ボートレースメモリアル(2019年)
- 第66回ボートレースダービー(2019年)
- 第23回チャレンジカップ(2020年)
- 第59回ボートレースクラシック(2024年)
- 第39回グランプリ(2024年)
2020年には、競艇の表彰制度の1つであるゴールデンレーサー賞を取得しています。
2024年12月、悲願のグランプリ制覇を達成
2024年1月に40歳になった毒島選手にとって、2024年3月の第59回ボートレースクラシック制覇は、3年半ぶりのビッグタイトル獲得となりました。
2024年は、賞金ランキング2位をキープし、年末のグランプリはトライアル2ndから参加。見事に優勝戦1号艇をゲットして、悲願のグランプリ制覇を達成。
2024年の最優秀選手(MVP)・最多賞金獲得・記者大賞の3冠の表彰を受けました!
2025年のフライング2本
2025年も、3月の尼崎と平和島の周年記念(G1)を連続優勝。
絶好調の滑り出しかにみえましたが、2025年6月の平和島で、2025/5/1~10/31の期間で2本目のフライング(F)を切ってしまい、7月のオーシャンカップ後、90日間(7/28~10/26)のF休みに入ることになりました。
これにより、8月の若松メモリアル、10月の津ダービーには乗れませんでした。
そのため、賞金ランキング的にはグランプリ出場圏外ではありましたが、12月のグランプリシリーズでは、得点率トップで堂々の予選1位通過。
準優戦も逃げを決めて、順当に優勝戦1号艇をゲット。
優勝戦では、トップスタートを決めて1マークを先マイ。磯部誠選手・宮地元輝選手ら、トライアル1stから降りてきた選手達も寄せ付けず、そのまま逃げて通算10度目のSG優勝を達成!
2025年は有終の美を飾った毒島選手ですが、2026年1月からはB2級への降格が決まっています。
これは、上に書いたフライング2本が原因です。
毒島選手にとって不運なことに、2025年の級別審査(2025/5/1~10/31)から、①級別の最低出走回数が増加、さらに②F2の事故点が増加。
まず、①は、B1級でも最低出走回数が65回になり、毒島選手にとっては90日間のF休みのため、クリアがかなり難しくなってしまいました。
さらに②により、毒島選手の事故点は50点になり、事故率(事故点÷出走回数)が0.70以上になることが確定。
さらに、6か月間のあっせんが保留される「魔の8項」と呼ばれるルールに抵触する恐れがありました。これを回避するために敢えて出走数を50走未満に抑え(50走未満ならこのルールの適用外)、上記①に引っかかった、ということのようです。
※「事故点」や「事故率」は、こちらの記事で解説しています。
グランプリシリーズ後のインタビューでは、2025年について、「ファンと接する機会もあって力をもらったし、感謝の一年だった」。
2026年については、「苦しい位置からのスタートとなるが、ベストを尽くしたい。一般戦も売れるよう、盛り上げていきたい」とコメントをしていました。

ただ、優勝戦を振り返って、「ペナルティが重いので、スタートに緊張した。起こし位置に集中していたので、レースを楽しむ余裕がなかった」とも言っており、相当センシティブになっているようです・・・
この件をきっかけに、A1級でもフライング2本でB2級に陥落する可能性がある事実が、広く知れ渡りました。
B2級に落ちると、月2開催しか斡旋がなく、しかも一般戦のみです。そのため、しばらく賞金も勝率も稼げません。
まさか、SG10回優勝・2024年のMVP選手がこんな状況に陥るとは、ルールを制定する競走会サイドも予想していなかったのではないかと思われます。
何はともあれ、B2級から再出発する毒島選手、どんな無双ぶりをみせるのか注目されます。
テクニックを駆使する「ナイターキング」
群馬支部に所属する毒島選手のホームは、ナイター競走発祥の地・桐生競艇場。
そのため、毒島選手はナイター競争を得意としており、「ナイターキング」の異名を持っています(SG優勝10回のうち、8回はナイター)。
平均スタートタイミング(ST)は0.16と特別速い方ではありませんが、代名詞の「スーパーピット離れ」によるイン奪取、「全速ツケマイ」などのテクニックがあり、道中でも順位を上げて舟券に絡んでくる選手です。

「ツケマイ」はターン時に内側艇にぴったり並走して、内側艇のスピードを落としながら抜くテクニック。毒島選手の場合、この「全速ツケマイ」で、レース中どの周回でも逆転が狙えます!
「30代後半からはグランプリを意識しすぎて、見えていない部分もたくさんあった」と振り返る毒島選手。
40歳を過ぎて、メンタル面で円熟味を増しているほか、本人いわく「アダルトな走り」を意識して、様々なテクニックや調整を駆使して戦い続けています。
毒島選手の師匠と弟子
毒島選手の師匠は、同じ群馬支部の江口晃生選手。
史上29人目の24場制覇、SGも2勝しているという、実力派ベテランレーサーです!

2019年のボートレースダービーでは、師匠の目の前で優勝を決めた毒島選手。
出迎えた江口選手の胸に飛び込み、人目を気にすることなく号泣した姿が印象的でした。

なお、毒島選手自身にも久保原秀人選手・伊久間陽優選手らの弟子がいますが、伊久間選手は、師匠である江口選手の甥にあたります!
奥様は元競艇選手!

毒島選手は結婚しており、奥様は元ボートレーサーの池田幸美さんです。
幸美さんは1998年にデビュー、2009年に引退していますが、通算150勝で生涯獲得賞金は1億円を超えています。
福井支部所属だったため、三国競艇場が出会いの場所。同じレースに斡旋されるうちに意気投合、交際につながったようです!
2009年12月22日、幸美さんの誕生日に入籍。その後、一男一女に恵まれています。
家に帰って家族の顔を見る時が、一番ほっとできる時間とのこと。
プライベートでは、トライアスロン・ロードレースなど多趣味で、さらにバイクは数台を保有するほど熱が入っているそうです。
さらに、小学生の頃から釣りが好きで、競艇選手になってからは海釣りに凝っているそうです。ちなみに水上のスポーツ選手らしく、船酔いは全くしないとか!?(笑)

111センチのマグロを釣ったこともあるが、魚を触るのは苦手という毒島選手。競艇場では、水中に魚がいるかチェックしており、特に鳴門競艇場は魚がよく見えるとのことです!



