
この記事では、競艇界のトップレーサーの1人である毒島誠(ぶすじま・まこと)選手について取り上げます。

2024年のグランプリ制覇で、SGレース9回目の制覇となった超実力派の毒島選手。これまでの戦歴や素顔にじっくり迫っていきます!
毒島誠選手について

毒島選手は1984年1月生まれ、出身は群馬県桐生市。
群馬支部に所属し、登録期は92期、登録番号は4238号です。
小さい頃はサッカーや体操をしており、特にサッカーでは選抜チームに選ばれて優秀賞を獲得するなど、運動神経はもともと良かったようです。
自宅近くに桐生競艇場があり、たまに連れて行かれることがあったものの、特に競艇には興味がなかったという毒島選手ですが・・・
桐生工業高校に在学中のある日、友達の叔父さんの家へ遊びに行くことになりました。
そこで、「君は体型的に競艇選手に向いている!」と言われたとか(毒島選手の身長は162センチ)。
その友達の叔父さんという人が、実は現役ボートレーサーの柴田光選手(68期、群馬支部)だったのです!
この一言が、毒島選手が競艇選手を目指すきっかけになりました。
高校卒業後に競艇学校を受験、見事に合格を果たします。好成績を残して卒業し、2003年5月に桐生競艇場でデビューしました。
デビュー10年目に迎えた転機
デビューから2か月後に初勝利、そこから3年後の2006年9月の一般戦で初優勝を飾った毒島選手。
そこから3年と少し経った2010年1月、G1を初制覇しました(第24回新鋭王座決定戦)。
しかしながら、2012年くらいまでの毒島選手は、G1優勝が1回、G2優勝が1回、G3優勝が4回と、あまり目立った存在ではありませんでした。
毒島選手は20代の頃について、次のように語っています。
転機が訪れたのは、デビュー10周年となる2013年のこと。
9月に開催されたモーターボート記念競走(ボートレースメモリアル)で、ついにSG初優勝。
それからの3年間はG1を5回優勝し、さらに2017年末からはSGを含めてグレードレースを怒涛のように勝ちまくりました!
- 第59回モーターボート記念競走(2013年)
- 第20回チャレンジカップ(2017年)
- 第23回オーシャンカップ(2018年)
- 第64回ボートレースメモリアル(2018年)
- 第65回ボートレースメモリアル(2019年)
- 第66回ボートレースダービー(2019年)
- 第23回チャレンジカップ(2020年)
- 第59回ボートレースクラシック(2024年)
- 第39回グランプリ(2024年)
2020年には、競艇の表彰制度の1つであるゴールデンレーサー賞を取得しています。
2024年12月、悲願のグランプリ制覇を達成
2024年1月に40歳になった毒島選手にとって、2024年3月の第59回ボートレースクラシック制覇は、3年半ぶりのビッグタイトル獲得となりました。
2024年は、賞金ランキング2位をキープし、年末のグランプリはトライアル2ndから参加。見事に優勝戦1号艇をゲットして、悲願のグランプリ制覇を達成。

2024年の最優秀選手(MVP)・最多賞金獲得・記者大賞の3冠の表彰を受けました!
2025年9月時点で、通算優勝回数84回のうち、SG優勝が9回、G1優勝が18回と、すさまじい成績を残しています。
2026年1月からB2陥落危機・・・
2025年も、尼崎と平和島の周年記念(G1)を連続で優勝するなど、絶好調の滑り出しを見せていた毒島選手ですが・・・
なんと、2025年6月の平和島で、今期2本目のフライング(F)を切ってしまい、7月のオーシャンカップ後、90日間(7/28~10/26)のF休みに入ることになりました。
これにより、8月の若松メモリアル、10月の津ダービーには乗れなくなってしまいました。
さらに毒島選手にとって不運なことに、今回の級別審査(2025/5/1~10/31)から、①級別の最低出走回数が増加、さらに②F2の事故点が増加しています。
まず、①は、B1級でも最低出走回数が65回になり、毒島選手にとっては90日間のF休みがあるため、クリアがかなり難しいラインになってしまいました。
さらに②により、毒島選手の事故点は現時点で50点になり、事故率(事故点÷出走回数)が0.70以上になることがほぼ確定してしまいました。。
※詳しくはこちらの記事で解説しています。
結果的に、毒島選手は、来年1月(2026年前期)からB2になることが濃厚です。
B2級に落ちると、月2開催しか斡旋がなく、しかも一般戦のみです。そのため、しばらく賞金も勝率も稼げません。。
まさか、2024年のMVP選手がこんな状況に陥るとは、競走会も予想していなかったのではないかと思われます(そのため、来年以降、ルールの再変更があるかもしれません)。
この件をきっかけに、A1級でもフライング2本でB2級に陥落する可能性がある事実が、広く知れ渡りました。選手達にとっては相当のプレッシャーに違いありません。
テクニックを駆使する「ナイターキング」
群馬支部に所属する毒島選手のホームは、ナイター競走発祥の地・桐生競艇場。
そのため、毒島選手はナイター競争を得意としており、「ナイターキング」の異名を持っています(SG優勝8回のうち、6回はナイター)。
平均スタートタイミング(ST)は0.16と特別速い方ではありませんが、代名詞の「スーパーピット離れ」によるイン奪取、「全速ツケマイ」などのテクニックがあり、道中でも順位を上げて舟券に絡んでくる選手です。

「ツケマイ」はターン時に内側艇にぴったり並走して、内側艇のスピードを落としながら抜くテクニック。毒島選手の場合、この「全速ツケマイ」で、レース中どの周回でも逆転が狙えます!
「30代後半からはグランプリを意識しすぎて、見えていない部分もたくさんあった」と振り返る毒島選手。
40歳を過ぎて、メンタル面で円熟味を増しているほか、本人いわく「アダルトな走り」を意識して、様々なテクニックや調整を駆使して戦い続けています。
毒島選手の師匠と弟子
毒島選手の師匠は、同じ群馬支部の江口晃生選手。
史上29人目の24場制覇、SGも2勝しているという、実力派ベテランレーサーです!

2019年のボートレースダービーでは、師匠の目の前で優勝を決めた毒島選手。
出迎えた江口選手の胸に飛び込み、人目を気にすることなく号泣した姿が印象的でした。

なお、毒島選手自身にも久保原秀人選手・伊久間陽優選手らの弟子がいますが、伊久間選手は、師匠である江口選手の甥にあたります!
奥様は元競艇選手!

毒島選手は結婚しており、奥様は元ボートレーサーの池田幸美さんです。
幸美さんは1998年にデビュー、2009年に引退していますが、通算150勝で生涯獲得賞金は1億円を超えています。
福井支部所属だったため、三国競艇場が出会いの場所。同じレースに斡旋されるうちに意気投合、交際につながったようです!
2009年12月22日、幸美さんの誕生日に入籍。その後、一男一女に恵まれています。
家に帰って家族の顔を見る時が、一番ほっとできる時間とのこと。
プライベートでは、トライアスロン・ロードレースなど多趣味で、さらにバイクは数台を保有するほど熱が入っているそうです。
さらに、小学生の頃から釣りが好きで、競艇選手になってからは海釣りに凝っているそうです。ちなみに水上のスポーツ選手らしく、船酔いは全くしないとか!?(笑)

111センチのマグロを釣ったこともあるが、魚を触るのは苦手という毒島選手。競艇場では、水中に魚がいるかチェックしており、特に鳴門競艇場は魚がよく見えるとのことです!




