この記事では、競艇会のトップレーサーの一人である濱野谷憲吾(はまのや・けんご)選手について取り上げます。
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この記事では、「競艇界のファンタジスタ」であり、50歳を迎えても衰えを見せない東都のエース・濱野谷選手について、じっくり紹介していきます!
*本記事は2024年2月現在の情報に基づきます。
濱野谷憲吾選手について
濱野谷選手は1973年生まれ。出身は東京都世田谷区で、登録期は70期(登録番号は3590)、所属は東京支部です。
現在50歳ですが、①1998年の第45回全日本選手権競争(ボートレースダービー)、②2000年の第3回競艇王チャレンジカップ競走、③2001年の第16回賞金王競走シリーズ戦、④2007年の第42回総理大臣杯(ボートレースクラシック)、⑤2021年の第26回オーシャンカップ競走と、SGを5回も制覇している実力の持ち主です!
世田谷区立新星中学校を卒業、駒沢大高校を中退して、ボートレースの世界に飛び込みました。
本栖研修所(当時)時代は、訓練期間中でのリーグ戦や修了記念競走などでの上位記録は無く、目立った存在ではなかったようです。
しかし、修了後の1992年5月に地元・平和島競艇場でデビュー、そのデビュー戦2走目で早くも初勝利。素質の片鱗を見せます。
そして、翌1993年9月に戸田競艇場の一般戦で初優勝を飾ると、1996年にはSG第43回全日本選手権競争(ボートレースダービー)に初出場。
1997年には桐生競艇場の周年記念・第41回赤城雷神杯で、G1初優勝を果たしました。
あっという間に東京支部の若きエースとして君臨、将来の関東のエースと話題になりました。
そんな濱野谷選手の師匠は、B1級現役レーサーの乙津康志(おつ・やすし)選手。
乙津選手は、「O2ブランド」というペラグループ(プロペラの情報交換などを一緒に行う)のリーダーでもあり、若手育成に力を入れている面倒見の良い師匠のようです。
濱野谷選手は、今のところ弟子は取っていないと言われていますが、懇意にしているペラグループの若手メンバーはいるようです。
濱野谷選手のレーススタイル
濱野谷選手のレーススタイルは自在型と評価されていますが、鋭いターンスピードを活かした豪快な「捲り」が彼の真骨頂でしょう。人気の競艇漫画「モンキーターン」のモデルになったと言われています。
モーター性能や展開次第で、そのレースで誰が一番強いのか分かりにくいのが競艇というスポーツですが、一般的に①ターン力、②スタート力、③モーター整備力が、勝利への三大要素と言われています(三拍子そろえば文句なしでSGレベルの選手ということになります)。
濱野谷選手の①ターン力については、冒頭で述べた通り、ターンスピードを活かした豪快な捲りと、その勝率が物語っています。三連対率をみても、5コース以外は50%越え(1コース94.5%、2コース78.2%、3コース62.5%)。どのコースでスタートしても、高確率で3位以内に入るという好調ぶりです。
②スタート力については、今年5月1日~10月31日までの平均スタートタイミング(ST)が0.13と、A1クラスの平均値0.15~0.16を上回り、超一級のスタート上手と言えるようです。
③モーター整備力に関しては、良いモーターを引き当てられれば言うことはありませんが、やや調子の悪いモーターでも、濱野谷選手ほどのベテランともなれば、その整備力で勝敗に影響のないレベルまで持ってくることは可能です。
濱野谷選手は、2021年3月には史上32人目の24場制覇達成、2022年11月には2000勝達成、2023年9月には通算優勝100回を達成。「東都のエース」の健在ぶりをアピールしています!
ホームは平和島競艇場
濱野谷選手のホームは平和島競艇場。
平和島は海水につき、陸上・ボート上からは見えづらい水の流れがあり、一流選手でもスタート時のタイミングにズレが生じやすいと言われています。
また、第1ターンマーク付近が狭く、イン逃げが難しいことが特徴でもあります。
波も潮もない競艇場で走ってきた選手と、このような難しい水面の平和島で走ってきた濱野谷選手とを比べると、記録や数字に表れない技量面などで、鍛えられ方が違うのかもしれません。
2024年は、2月に開催された関東地区選手権(G1)@平和島で優勝しています!
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2021年の第26回オーシャンカップ競走
濱野谷選手は、2021年のオーシャンカップ@芦屋競艇場で通算5回目のSG優勝を果たしましたが、これは実に14年4カ月ぶりの優勝で、歴代3番目に長いブランクの末の栄冠獲得となりました。
おまけに、優勝戦当日の7月25日は、自身がモデルと言われる競艇漫画「モンキーターン」の主人公・波多野憲二の誕生日。
さらに、優勝賞金等のプレゼンター役の芦屋町長の名前が波多野さんという偶然もあり、非常に話題になりました。
このラッキーな勢い(?)に乗って、2021年は、2010年以来となる1億円プレーヤーへの復帰も果たしました!(※2023年も1億円に到達)
1996年の第43回全日本選手権競争(ボートレースダービー)
1996年の第43回全日本選手権(ボートレースダービー)では、濱野谷選手が初出場ながら3勝をマークする活躍を見せたものの、なんと5日目の4レース・7レースで転覆。
SGで同じ選手が1日2回も転覆失格するという、前代未聞の出来事となりました。
しかし皮肉なもので、この事が「濱野谷」の名前を全国的に知らしめる事になり、今日に至っています。
このほか、濱野谷選手のスタート事故をみると、1999~2022年まででフライング・出遅れ事故が33回も記録されています。
この33回には、選抜戦・準優勝戦・優勝戦なども含まれています。ここぞという時に事故を起こしてしまうため、ファンから「ヘマキング」というニックネームが付けられたのかも知れません。。
濱野谷選手のプライベート
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出典:モンキーターン
「モンキーターン」の主人公・波多野憲二のモデルと言われるイケメンで、女性人気も高い濱野谷選手。
すでに結婚されており、現在は娘さんと息子さんお1人ずつの4人家族だそうです。
ネットの情報ではありますが、中目黒に「Di modA」と言うイタリアンをオープンし、奥様が運営されているようです。「もう一度行ってみたい」との口コミもあり、人気のお店のようですね!
趣味は、ゴルフ・釣り・スキューバダイビングなどアウトドア系のほか、自宅でのDJ・韓国ドラマ・料理など、インドア系まで幅広いようです。
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東京支部の実力派ベテランレーサーとして大きな存在感がある濱野谷選手。今後の活躍から目が離せませんね!