ここでは、競艇を題材にした漫画や、競艇好きで有名な漫画家を紹介します。
実は、私は漫画「モンキーターン」をキッカケに競艇の世界に足を踏み入れました。
競艇を題材にした漫画は多くはありませんが、フィギュアスケート選手が競艇選手に転向するといった異色の漫画もあるんですよ。
モンキーターン
モンキーターンは週刊少年サンデーで、河合克敏さんによって1996年から2005年までの10年間連載されていました。
モンキーターンが世間に与えた影響は大きく、モンキーターンを読んで競艇選手になったという選手もいるほどです。
モンキーターンは全385話、単行本で30巻の大作漫画と言えますが、作者の河合克敏さんが競艇に精通していたかというと実はそうでもなかったようで、きっかけは当時の週刊少年サンデーの編集長だった奥山豊彦さんから、「競艇漫画を描かないか」といった一言で始まったそうです。
そして、取材で訪れた平和島競艇場で競艇レースを目の当たりにしたのが連載の決定打となった、とのこと。
また、この話からすると、編集長の一言がなかったらモンキーターンといった競艇漫画は生まれていなかったことになりますね。
モンキーターンが世間に与えた影響は大きく、モンキーターンを読んで競艇選手になったという人もいます。
あらすじ
モンキーターンの主人公である波多野憲二は、甲子園出場を目指して野球に打ち込む少年時代を過ごしていました。
その憲二が競艇ファンの担任に競艇場へ連れていかれ、ボートのモンキーターンに魅了されたことで野球への道を止めて競艇選手になることを誓うんです。
競艇選手になるのは運動神経や体力が優れているだけではなれません。
必死の勉強も必要で、競艇選手の養成所に合格し、その養成所を卒業して晴れて競艇選手となって、そこからさらに波瀾万丈の選手生活がスタートします。
養成所の卒業記念レースでは優勝し、さらにはSGレースである全日本選手権競走を2連覇、賞金王決定戦でも優勝など、これだけの経歴を聞くと順風満帆な競艇生活。
しかし、挫折や怪我などもあり、そういった逆光を乗り越えて栄光を掴んでいく、競艇という枠を超えた本物のスポーツ漫画に仕上がっています。
もちろん、主人公の憲二以外の登場人物も魅力あるキャラクターとして、モンキーターンに彩りを添えていますよ。
アニメやパチンコ、スロット化もされているので、今でも非常に知名度が高い競艇漫画です。
競艇少女
競艇少女はスーパージャンプで1996年から2003年まで掲載されていました。
1996年というと、モンキーターンの連載が始まったのもこの年ですね。
主人公は女性の速水晶で、速水財閥の3女という設定のお嬢様育ちです。
競艇に惹かれたきっかけは、借金取りに追われている男に連れられて競艇場へ訪れたこと・・・
そして、財閥のお嬢様として約束されていた将来を捨てて、競艇選手を目指すことになります。
競艇少女の単行本は全14巻で、最初の5巻までが養成所を舞台に、そして残りが競艇選手編となっています。
同時期に連載されたモンキーターンと比較されることの多い競艇少女ですが、完成度の単純な比較よりも、女性がSGレースで優勝を目指すところに多くの共感を得ていた人がいたのも事実です。
透明アクセル
透明アクセルは女子フィギュアスケート選手を競艇選手にして、競艇ブームを起こすことを目指す漫画です。
そして、その選手のドキュメンタリーを映画化することも同時進行で行われます。
主人公は山田麻美という、元は女子フィギュアの上位選手で、広告代理店の競艇の営業担当となった青木智也に誘われる形で、競艇選手を目指すことに。
独特なストーリーが賛否両論で短命に終わった漫画ですが、数少ない競艇漫画として異色の存在と言えますね。
競艇漫画というよりもビジネスに重きを置いているようにも感じるので、読み手によってかなり評価が分かれる漫画となっているのは間違いありません。
ターニングレッド
出典:amazon
ターニングレッドは、女子中学生の「凪辻紅」が主人公の競艇漫画です。
幼なじみの「井沢蒼生」と同じ学校に進学するはずだったが、井沢蒼生が突然「ボートレーサーになる」と言いだし、凪辻紅もボートレーサーの道を歩み出すストーリーとなっています。
しかし、養成学校は想像を遥かに上回る過酷な環境で、凪辻紅はボートレーサーになるためあらゆる苦境に立ち向かうことになります。
凪辻紅が初めてボートレース場を訪れた際の迫力、男女の区別のない競技であることを知ったときの衝撃などが描かれており、近年活躍している女性レーサーを表した作品です。
競艇好きの漫画家といえばこのお方!
競艇好きの漫画家といえば、蛭子能収さんがすぐに浮かんでくると思います。
もっともこの人は、競艇だけではなく競馬にパチンコに麻雀などオールラウンドなギャンブラーとしても有名ですね。
そして、一番有名なのはこれまで1億円負けていると豪語していること、そして借金が一銭もないというエピソード。
さらにすごいのは、2006年8月の大村競艇場で「蛭子能収杯」という名前の冠レースが行われたことで、競艇選手以外の個人名の冠レースは史上初だということで盛り上がりました。
競艇好きといえば蛭子さんだね!
また、女子レースでは「蛭子ドリーム」と名付けられたレースも行われています。
他にも、多くの自分の名前を冠した冠レースの番組編成を行っているのです。
芸能界ナンバーワンの競艇通ということですが、舟券の買い方は高額配当を手広く買う・・・つまりは大穴狙いということで、根っからのギャンブラーであることは間違いなく、様々なエピソードを聞けば1億円以上負けたのも納得できます(笑)
親の葬儀の後に兄と2人で競艇場に行った、という逸話も本当らしいですね。
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