
2025年3月、競艇最年長勝利記録を持つ高塚清一選手が、現役のまま逝去されたことが発表されました。また、8月には、日高逸子選手が現役引退を発表しました。
ボートレースは、他のスポーツよりも高齢の選手が活躍できると言われている競技。驚くような年齢の選手が、今日もレースに出場しています!

この記事では、故・高塚選手、現役引退を発表した日高選手のほか、高齢になっても活躍を続ける注目すべき3人の選手をご紹介します。
還暦を迎えた競艇選手
当サイトの調べでは、2025年8月末現在で、60歳以上の競艇選手は26人います。

競艇選手には登録番号が付けられていますが、選手になる際に年齢制限があるため、この登録番号で選手の世代(年齢)がある程度分かります。
だいたい3200番台らいまでの選手が、60歳を越えている計算です。
ちなみに23人の中に、A1級選手が3人もいます(西島義則・江口晃生・今村暢孝)。ちなみにB2級選手の割合も低いのも面白い特徴です。
65歳限界説!?
なお、上で載せた表をよくみると、65歳以上の選手が極端に少ないことに気づきます。
実際、65歳という年齢は、「競艇選手としての節目」にあたるようで、還暦まで続けてきた選手も、65歳で引退する事が非常に多いのです。
これは「65歳限界説」と言われており、かのモンスター・野中和夫選手も65歳で引退しました(引退理由は、「体力的なもの」とのことでした)。
2025年に表舞台を去った2人の名選手
それでは、まずは2025年に競艇の表舞台を去った、高塚清一選手(故人)、日高逸子選手を紹介します。
2014 高塚清一(静岡支部)※故人

出典:BOAT RACE
2025年3月1日、競艇界の最高齢選手だった静岡支部・高塚清一選手が77歳で逝去されました。
高塚選手は、2025年1月の平和島での一般戦で勝利し、自身が持つ最年長勝利記録を77歳10か月19日に更新。
「令和6年 優秀選手表彰式典」で特別賞が授与されたばかりであり、突然の訃報に、関係者や競艇ファンは大変なショックを受けました(死因は公開されておらず不明)。
高塚選手のデビューは1965年11月であり、およそ60年にも及ぶ選手生活でした。文字通り生涯現役で、きっとご本人も本望であったと思います。
高塚選手は、加藤峻二選手(登録番号1485、2015年に引退)の71歳2ヶ月での最年長優勝記録の更新も期待されていましたが、こちらは叶いませんでした(かつては自身が持っていたが、加藤選手に抜かれた)。
ここ10年ほどは優勝から遠ざかっていましたが、2022年9月の「B級ボートレースメモリアル BOATBoyCUP」では優勝戦に進み、B級落ちしていた峰竜太選手と戦いました(結果は6着も、最年長優出記録)。
高塚選手の最終出走は2025年2月「第60回日刊スポーツ賞」(多摩川・一般戦)の7Rで、3コースから6着。
通算出走数は1万3461回、優勝回数47回、2398勝でした。
3188 日高逸子選手(福岡支部)

「母」と「選手」を両立し、「グレートマザー」と呼ばれてファンに親しまれてきた日高逸子選手。
2025年8月22日、8月19日付で日高選手が現役引退したことが、ボートレースのオフィシャルウェブサイトで発表されました。
本人のコメントは以下の通りです。
日高選手のブログ「私は あきらめない」にも、ファンに向けた投稿が掲載されています。
1985年、第56期でデビューした日高選手。ニックネームは「弾丸娘」で、若い頃は「まくり」が得意な選手でした。
1989年・2005年に女子王座決定戦、2014年に賞金女王決定戦競走を優勝。
過去4度、優秀女子選手に選出され、通算成績は9395回出走、1着2539回、76V。生涯獲得賞金は11億4400万3198円にも上ります(女子歴代1位)。
引退直前まで、全公営競技の女子選手中、最高齢でした(公営競技女子最高齢勝利の記録保持者)。
「ハードルがあればあるほど燃える」勝負魂で知られ、とくに有名なのは次のエピソードです。
2020年前期、日高選手は半年間のフライング罰則を受けることになってしまいました。
半年というと審査期間1期分を休むことになり、復帰時はB2級に落ちてしまいます。
この時、日高選手は58歳。かつてライバルだった女子レーサーは全員引退しており(女子選手は、結婚・妊娠・出産など、早めに引退する選手が多い)、さすがに日高選手も引退を考えたそうです。
2人の娘さん達も既に独立しており、心配ない状況でした。生涯獲得賞金は10億円を超え、もう十分に稼いだという気持ちもあったようです。
そこで、「もう止めようかと思う」と家族の前で切り出したところ・・・
そんなこんなで復帰した日高選手でしたが、しばらくはレース勘が戻らず、低迷が続きました。
さらに、子宮内に腫瘤が見つかり、手術することになりました(※手術後の検査で、良性と判明)。
不調で成績が上がらない時期に、不運にも病気が重なるという状況になった訳ですが・・・
なんと、日高選手は退院後は以前にも増して練習を重ね、あっという間にA1まで駆け上りました。
逆境が、日高選手の負けん気に火をつけたのだと思われます。まさに、ブログのタイトル「私はあきらめない」を地で行く選手でした。

21歳から37年間、競艇一筋だった日高選手。娘さん達も、「ここまで来たら、できるところまで頑張った方が、母は充実した日々を送れるに違いない」と考えたのでしょうね!
現役で活躍する高齢選手
次に、2025年8月時点で、まだまだ現役で活躍している高橋二郎・西島義則・山室展弘の3選手を取り上げます!
2538 高橋二郎選手(東京支部)

高橋二郎選手は、もはや2名しかいない登録番号2000番台の選手。
高塚選手なき今、競艇界最高齢の76歳で、加藤峻二選手の持つ最年長優勝記録(71歳2ヶ月)を破ることができる唯一の選手です。
高橋選手のデビューは1971年の平和島。
当時の競艇界は、他のプロスポーツなどと同様に30歳くらいが選手としてピークであり、40を超えたら引退というのが一般的でした。平均年齢70歳、サラリーマンは55歳が定年という時代だったため、当然といえば当然でした。
高橋選手も当初、若いうちに稼ごうと考えていたそうです。しかし、人とつるむのが嫌いだったため誰の弟子にもならず、当時よくあった選手グループに入ることもしませんでした。

全盛期だった初代艇王・彦坂郁夫選手から弟子に誘われたこともあったそうですが、断ったそうです。
ただ、他の選手とのつながりがないと不利な面もあり、どうしても選手としての実力の伸びが遅くなりました。
そこで高橋選手は考え方を変え、「若いうちに稼ぐのではなく、細く長くやろう」と方針転換しました。それがなんと、デビュー4年目のことでした。
まず、健康には人一倍の注意を払い、運動も欠かしませんでした。そして、なによりケガをしないよう極力気を付けてきたそうです。
現在、高橋選手の生涯獲得賞金は7億円を超えており、まさに「細く長く」という方向転換が功を奏したといえるでしょう。
そんな高橋選手の信条は「1つでも上の着を狙うこと」。かつてファンから「3着でもいいんだよ、連に絡むんだから」と言われ、「1着を取るだけがレースじゃないんだな」と思ったそうです。
そのため、高橋選手の買い方は、2~3着狙いが良さそうです。若い選手を買いたくなるところですが、「1つでも上の着を狙う」貪欲さは、まだ衰えていません。
ちなみに、2024年6月に高塚選手が1着を取った際、2着には高橋選手が入り、合計152歳のワンツーフィニッシュと話題になりました。
高橋選手と高塚選手とは交流があり、互いに尊敬しあいつつ、ライバルとして強く意識していたそうです。
高塚選手の最年長勝利記録(77歳10カ月)に挑むチャンスは、2年後にやってきます。
その時こそ、高橋選手の1着を狙ってみましょう。亡き友を弔うためにも、高塚選手の記録を破ってやろうと虎視眈々と狙っているに違いありません。
なお、一匹狼の高橋選手ですが、友人は多く、特に同支部の奥平拓也選手・石渡鉄平選手はウインドサーフィン仲間。
高橋選手が腰痛防止にウインドサーフィンを始めたところ、両選手が「教えて下さい」と言ってきたそうです(笑)
3024 西島義則選手(広島支部)

西島義則選手は、通算勝率7点台・SG優勝7回・通算2000勝達成を誇るベテラン。
「イン逃げの西島」「インの鬼」と呼ばれる西島選手も、2025年で63歳。高齢競艇選手ランクで第5位になりましたが、依然として最年長A1選手として君臨しています。
大抵の選手は50代を超すとSGで勝てなくなり、A1級も維持できなくなりますが、なぜ西島選手は現在もA1級を維持できているのでしょうか。
その秘密は、西島選手のレーススタイルとテクニックにあると思われます。
徹底的なイン選手で、今でも容赦なく前づけを取りに行きます。西島選手くらいの格とキャリアがあれば、観客も他選手も「仕方ないな」と思うしかありません。
そして、西島選手の強力な武器が、通称「ペリカンモンキー」と呼ばれる深い前傾姿勢のモンキーターンです。いわゆる「インモンキー」というテクニックが、西島選手の真骨頂なのです。
西島選手が現在のレーススタイルになったきっかけは、1993年の総理大臣杯で二代目艇王・植木道彦選手のレースを見てからと言われています。
そして西島選手は、植木選手譲りの「レースの鬼」を、今でも貫いているのです。
2000年前後に西島選手とSGでしのぎを削った選手は、ほぼ全員が引退しています。
一方、西島選手は、2024年12月にも「マスターズリーグ第9戦」(G3)で優勝しており、とても「65歳限界説」まであと少しの選手とは思えません。

むしろ、格・年齢ともに並ぶ選手が少なくなったことで、レーススタイルに更に磨きがかかりそうです。ここ一番という時の勝負強さは、相変わらず鬼気迫る物があります!
「レースの鬼」でも、プライベートでは料理が趣味で、卵焼きが得意だとか。
毎朝、子供たちに持たせる弁当を作っているそうで、YouTubeを運営している同支部の上平真二選手から「料理中の姿を撮影させて下さい」とお願いされたこともあるそうです!
祖父が大好きで、かつてはSG出場のたびに連絡するなど(2000年のオーシャンカップでは表彰式で対面して号泣)、人当たりの良い優しい性格である西島選手。
勝利の女神が微笑みやすい人柄であることも、60を過ぎても活躍できる理由の一つかもしれませんね。
3070 山室展弘選手(岡山支部)

山室展弘選手は、全国24場制覇を達成した最初の選手であり、現在までに歴代5位の通算2900勝を誇る実力者です。
1999年の全日本選手権(いわゆるダービー)の優勝者であり、新鋭王座決定戦競走の初代チャンピオンでもあります。本栖51期の卒業レースで優勝した51期チャンピオンであり、デビュー戦で初日に1着を取るなど、いわゆる「天才肌」のレーサーです。
しかし問題なのは、その「やんちゃな性格」であり、何かと物議を醸す行動が多い選手でもあります。
TV中継やインタビューが大嫌いで取材拒否したり、SG・G1は斡旋されても断って一般戦ばかり出場したり、一般戦でも嫌いな競艇場への斡旋は拒否したり・・・。
最も嫌いなのは住之江らしく、ここ20年間で1回も出場していません。また、関東の競艇場も嫌いですが「桐生ならいいや」と言っているそうです。
何しろ、やる気がある時は鬼のように強い一方で、やる気がない時は適当に走ってあっさり負ける山室選手。「八百長をしているのではないか」という疑いを抱かせる可能性があり、危険人物とみなされていたのです。
実際には、山室選手は八百長をやっているわけではなく、本当に勝ちに行くかどうかはその時のやる気次第という性格のようです。
「もう選手止めるから」が口癖で、記者に「もう、それ5年間聞いてますけど」と突っ込まれたり、優勝後の出待ちでファンに花束を渡され、感激して「これあげる」といって持ち回りの優勝トロフィーをプレゼントしたり・・・。面白いエピソードには事欠きません。

ちなみに、漫画「モンキーターン」に登場する「蒲生秀隆」は、山室選手がモデルと言われています(実力はSG優勝戦級なのに一般戦にしか出ず、選手やファンにはお茶目に振る舞うキャラクター)。
そんな「岡山支部の超問題児」も今年で64歳、艇界で4番目の高齢選手となりました。
では少しは大人しくなったのかというと、全然変わりません(笑)。
実力は折り紙付きですが、「やる気を出せば」という条件付きなのは相変わらずです。
なお、山室選手には、ここ最近は不運が続いています。
2月のびわこ一般戦では、2周1マークターン出口で他艇と接触し転覆。腰椎骨折の怪我を負い全治2か月の重症となりました。
実は、2024年12月にも転覆事故を起こし、右ひ骨骨幹部骨折の重傷で全治3か月の怪我を負い、びわこ戦は復帰第1戦だったのです。
復帰戦の2走目で、またも全治2か月の重症を負ってしまったのです。普通の選手なら年齢も年齢だし、さすがに引退を考えるところでしょう。
しかし、さすがは山室選手。再度、2か月の入院治療を終えると、早速レースに出場。その節で1着を取り、健在ぶりを示しました。
さすがというか、気合と根性は筋金入りの凄さです。「もう選手止めるから」が口癖ではありますが、恐らく高塚選手同様、生涯現役を貫くのではないでしょうか。
山室選手の買い方ですが、一般戦に出場してきたら、まずは2-3走、様子を見て下さい。やる気がない時は5-6着です。
2日目終了時点でやる気がありそうな時は、1-2着で来るので、絶対の「買い」となります。ただ事故も多いので、その点は注意してください。
おわりに
プロ野球やサッカーでは、どんな名選手でも、40歳が近づくと引退の2文字がちらつくものです。中日で活躍した山本昌選手や「キングカズ」こと三浦知良選手などの例もありますが、やはり歳を重ねるとともに活躍が難しくなるものです。
一方、公営競技は、同じスポーツでも中高年の選手が多い傾向があります。
競輪では50代・60代の選手が200人以上も現役ですし、オートレースでも鈴木章夫選手が75歳187日という最年長勝利を記録しています。
一昔前より最近は肉体的にも精神的にも若い人が増えているのはありますが、主な理由としては、ファンが減って開催場の閉鎖が続き、売上的に多くの新人をデビューさせる余裕がない(=開催場が減れば、必要な選手数は少なくなる)ことがあります。
新規募集を減らした結果、選手数が少なくなり、現役選手が辞めるに辞められないという状況も一因です。
一方、競艇の売上は好調であり、若い選手がどんどんデビューしています。
競艇は、ギャンブルというイメージを払拭すべく、CMを流したり、施設を綺麗にしたりと、イメージチェンジに努めてきました。結果、新しいファンが増え、新人をデビューさせる余裕も十分にあります。
次々と若くてイキのいい新人選手が次々とデビューしてくる環境で、高齢の選手が現役を続けることは簡単ではありません。
また、競艇選手は年1回のライセンス更新で、裸眼で一定の視力がないと選手を続けられないため、高齢になっても選手を続けるハードルはかなり高いといえます。

そこで活躍し続ける高齢の選手達は、より価値があり、応援したくなりますよね!

