2024年6月、高塚清一選手が、自らの持つ最年長勝利記録を更新したことが話題になりました。
ボートレースは、他のスポーツよりも高齢の選手が活躍できると言われている競技。実際どんな選手が活躍しているのでしょうか!?
この記事では、高齢になっても活躍している競艇選手の中でも、特に注目すべき4人の選手についてご紹介します!!
注目すべき高齢の選手4人!
2023年2月時点で、60歳超の競艇選手は23名おり、年齢順の一覧は下の通りです。
普段、気にされている方は少ないと思いますが、競艇選手には登録番号というものが付けられています。
競艇選手には年齢制限があるため、この登録番号で選手の世代(年齢)がある程度分かり、だいたい3100番台くらいまでの選手が、60歳を越えている計算です。
この記事では、これらの選手の中から、高塚清一・西島義則・山室展弘・日高逸子の4選手について取り上げていきます!
高塚清一選手(静岡支部)B1級
高塚清一選手は2024年6月、77歳3か月にして1着を取り、自身が有する「競艇最年長勝利記録」を更新しました。
2着には高橋二朗選手が入り、合計152歳のワンツーフィニッシュなどと話題になりました。
高塚選手はB1級ですので、斡旋は1か月に2開催で、全て一般戦です。従って、地元の浜松・蒲郡などの競艇場ではお馴染みですが、他の競艇場のファンには、あまり知られていない選手です。
ちなみに、高塚選手の登録番号は2014。2023年2月時点で登録番号が2000番台の選手は、1600人あまりいる競艇選手の中でたった5名だけ。
かつて2000番台には1000名の選手がいたはずが、995人は引退したということですね。ちなみに上の5人の登録番号をよく見たら、高塚選手の2014の飛びぬけっぷりが分かると思います。
なお、登録番号2538の高橋二郎選手は、2023年2月のレース初日に転覆失格。途中帰郷しましたが、その後の出場予定が全て削除され、引退が噂されています。もし高橋選手が引退したら、残る70歳以上の選手は高塚選手のみになります。
そんな高塚選手には、まだ目標があります。それは、2015年に引退した加藤峻二選手(登録番号1485)が持つ最年長優勝記録(71歳2カ月)。かつて高塚選手がこの記録を持っていましたが(65歳10か月)、加藤選手に抜かれてしまいました。
この加藤選手の記録を破れる選手は、現時点では高塚選手しかいないのです。当然ながら、本人も記録奪還を意識しているようです。
この10年は優勝から遠ざかっている高塚選手ですが、2022年9月の「B級ボートレースメモリアル BOATBoyCUP」では優勝戦に進み、B級落ちしていた峰竜太選手と戦いました(結果は6着も、最年長優出記録)。
まだまだ元気一杯、競艇界の最長老の地位を降りる気は全くなさそうです。
西島義則選手(広島支部)A1級
西島義則選手は、通算勝率7.29・SG優勝7回・通算2000勝達成を誇る、バリバリのA1選手です。
上で載せた表を見ると分かりますが、60歳以上でA1級を維持しているのは西島選手ただ1人(日高逸子選手は2024年前期はA1級でしたが、後期はA2級)。
2000年前後に西島選手とSGでしのぎを削った選手は、ほぼ全員が引退しています。
大抵の選手は50代を超すとSGで勝てなくなり、A1級も維持できなくなりますが、なぜ西島選手は現在もA1級を維持できているのでしょうか。
その秘密は、西島選手のレーススタイルとテクニックにあると思われます。
西島選手といえば徹底的なイン選手で、今でも容赦なく前づけを取りに行きます。西島選手くらいの格とキャリアがあれば、観客も他選手も「仕方ないな」と思うしかないのです。
そして、西島選手の強力な武器が、通称「ペリカンモンキー」と呼ばれる深い前傾姿勢のモンキーターンです。いわゆる「インモンキー」というテクニックが、西島選手の真骨頂なのです。
西島選手が現在のレーススタイルになったきっかけは、1993年の総理大臣杯で二代目艇王・植木道彦選手のレースを見てからと言われています。
現役時代、植木選手は他の選手は全て敵とみなし、格上だろうと支部の先輩だろうと、容赦なく前づけに行き、強力なモンキーターンで勝ちに行く選手でした。非難の声も右から左の「レースの鬼」だったのです(現在、競艇アンバサダーをしている植木氏からは想像もできませんが)。
そして西島選手は、植木選手譲りの「レースの鬼」を、今でも貫いているのです。
65歳限界説について
なお、上で載せた表をよくみると、実は65歳~70歳の選手は、新良一規選手しかいません。65歳以上の選手が極端に少なく、「65歳限界説」と言われています。
実際、65歳という年齢は、「競艇選手としての節目」にあたるようで、還暦まで続けてきた選手も、65歳で引退する事が非常に多いのです。かのモンスター・野中和夫選手も65歳で引退しましたが、「体力的なもの」との理由でした。
一方で、西島選手は、65歳までまだ4年あります。2023年も既に優勝を決めており、とても還暦を超えた選手とは思えません。むしろ、格・年齢ともに並ぶ選手が少なくなったことで、レーススタイルに更に磨きがかかりそうです。
「レースの鬼」でも、普段は料理が趣味で人当たりの良い優しい性格である西島選手。勝利の女神が微笑みやすい人柄であることも、60を過ぎても活躍できる理由の一つかもしれませんね。
山室展弘選手(岡山支部)A2級
続いて、「岡山支部の超問題児」と呼ばれる山室展弘選手をご紹介します。
岡山支部所属ということは、本来は児島競艇場がホームのはずですが、なんと児島競艇場は山室選手を「斡旋拒否」にしています。
これは、山室選手の「超気まぐれな性格」によるものです。やる気がある時は鬼のように強い一方で、やる気がない時は適当に走ってあっさり負けるのです。
これは、見方によっては八百長をやっているとも取れるため、危険を感じた競艇場は、全て山室選手を「斡旋拒否」にしています。
実際、山室選手は八百長をやっているわけではなく、本当に勝ちに行くかどうかはその時のやる気次第という性格のようです。
TV中継やインタビューが大嫌いで、SGやG1は斡旋されても断り、一般戦の方に好んで出場します。
「選手を辞める」が口癖で、記者に「もう、それ5年間聞いてますけど」と突っ込まれたり、優勝後の出待ちでファンに花束を渡され、感激して「これあげる」といって持ち回りの優勝トロフィーをプレゼントしたり・・・面白いエピソードには事欠きません。
そんな山室選手ですが、あちこちの競艇場から「斡旋拒否」されているにも関わらず、すでに2000勝近く達成しています。
1999年の全日本選手権(いわゆるダービー)の優勝者であり、新鋭王座決定戦競走の初代チャンピオンでもあります。本栖51期の卒業レースで優勝した51期チャンピオンであり、デビュー戦でも初日に1着を取るなど、いわゆる「天才肌」のレーサーです。
山室選手の出ているレースでは、彼の「やる気の有無」を、何とか見極めましょう!
ちなみに、漫画「モンキーターン」に登場する「蒲生秀隆」は、山室選手がモデルと言われています(実力はSG優勝戦級なのに一般戦にしか出ず、選手やファンにはお茶目に振る舞うキャラクター)。
日高逸子選手(福岡支部 ) A2級
競艇ファンなら誰もが知るグレートマザー・日高逸子選手。
日高選手は、2020年前期に3本のフライングをきってしまい、30+60+90=180日、つまり半年間のフライング罰則を受けることになってしまいました。半年というと審査期間1期分を休むことになり、復帰時はB2級になってしまいます。
この時、日高選手は58歳。若い頃にライバルだった女子選手達も既に全員が引退しており(女子選手は、結婚・妊娠・出産などで引退する選手が多く、男子選手よりも引退が早い傾向があります)、さすがの日高選手も引退を考えたそうです。
日高選手の2人の娘さんも既に独立しており、子供の心配もない状況でした。日高選手の生涯獲得賞金は10億円を超えており(女子選手トップ)、もう十分に稼いだという気持ちもあったようです。
そこで、「もう止めようかと思う」と家族の前で切り出したところ、2人の娘さんが猛反対。「お母さんから競艇を取ったら何も残らないでしょ!」と言われたそうです。
実際、21歳の時から37年間、競艇一筋で生きてきた日高選手。娘さん達も、「ここまで来たら、できるところまで頑張った方がいい。その方がきっと母も充実した日々を送れる」と考えたのでしょう。
そんなこんなでフライングから復帰した日高選手でしたが、しばらくはレース勘が戻らず、低迷が続き、さらに子宮内に腫瘤が見つかり手術することになりました(手術後の検査で、良性と判明)。
不調で成績が上がらない時期に、更に病気が重なるという状況になった訳ですが、このマイナス状態が日高選手の負けん気に火をつけたようです。
退院後は以前にもまして練習を重ね、あっという間にA1まで不死鳥のように駆け上りました(なお、2024年後期はA2)。
そんな日高選手のブログは、「私は あきらめない」。
現時点で、全公営競技の女子選手中、最高齢の日高選手。その「ハードルがあればあるほど燃える」勝負魂は、60歳を超えても未だに健在です。
おわりに
プロ野球やサッカーでは、どんな名選手でも40歳が近づくと引退の2文字がちらつくものです。もちろん、中日で活躍した山本昌選手や「キングカズ」こと三浦知良選手などの例もありますが、やはり野球やサッカーは歳を重ねるとともに活躍が難しくなるものです。
一方、公営競技は、同じスポーツでも中高年の選手が多い傾向があります。競輪では50代・60代の選手が200人以上も現役ですし、オートレースでも鈴木章夫選手が75歳187日という最年長勝利を記録しています。
競輪やオートレースで高齢選手が多い一つの理由は、ファンが減って開催場の閉鎖が続き、多くの新人をデビューさせる余裕がない(=開催場が減れば、必要な選手数は少なくなる)ことがあります。これは地方競馬にも当てはまります。
しかし、中央競馬(JRA)と競艇は事情が違います。JRAと競艇は、ギャンブルというイメージを払拭すべく、CMを流したり、施設を綺麗にしたりと、イメージチェンジに努めてきました。結果、新しいファンが増え、新人をデビューさせる余裕も十分にあります。
次々と若くてイキのいい新人選手がデビューしてくる環境で、高齢の選手が勝つことは簡単ではありません。そこで活躍し続ける高齢の選手達は、より価値があり、応援したくなりますね。