
この記事では、競艇界のトップレーサーの1人である馬場貴也(ばば・よしや)選手について取り上げます。

2022年の最優秀選手であり、「滋賀のエース」「最強支部長」などと呼ばれる馬場選手について、じっくり紹介していきます!
馬場貴也選手について

馬場選手は1984年生まれ。
出身は京都府京都市で、滋賀支部に所属しており、2018年から支部長を務めています。
実績抜群で、①2018年のチャレンジカップ、②2019年のグランプリシリーズ戦、③2022年のボートレースダービー、④2023年のボートレースメモリアル、⑤2024年のボートレースメモリアルと、SGを5回も制覇しており、今や実力トップクラスの選手の1人ではありますが・・・
実は、2018年まではG3で1回優勝したのみで、他は全て一般戦での優勝でした。

そんな馬場選手の経歴をみてみましょう。
馬場選手は、京都府立東稜高等学校を卒業後、やまと競艇学校(現ボートレーサー養成所)に入学。
登録期は93期で、登録番号は4262です。
2003年11月デビュー、翌3月に初勝利。初優勝は2007年5月でした(地元の「ビナちゃんカップ」)。
翌2008年の9月には、児島競艇場のG3・第21回瀬戸の若鷲決定戦で、G3レース初優勝。
とんとん拍子のように見えましたが、この後、馬場選手は約10年もの期間、一般戦でしか勝てませんでした(なお、2010年には1分42秒6、2012年には1分42秒2の、日本最速レコードを叩き出しましたが・・・)。
「覚醒」の結果、2018年のチャレンジカップで、いきなりSG初制覇。競艇選手になって15年目の快挙でした。
さらに、2020年8月には地元・びわこでG1初優勝。涙ながらに師匠・後明俊夫選手(引退)と握手を交わしました。
その後の活躍はご承知の通りですが、いったい馬場選手に何があったのか、詳しく見ていきましょう。
馬場選手の「覚醒」のきっかけ

馬場選手は2012年、びわこ競艇場で3周1800メートルを1分42秒2で走り、自身が持つ日本最速レコードを更新しました。
このレースは一般戦の優勝戦でしたが、馬場選手は2号艇で差しを決め、そのままスピードターンを続けてゴール。
日本記録を出し、さらにその記録を自分自身で塗り替えるという、自他ともに認める「スピードマスター」である馬場選手。
そんな彼は、上で書いた通り、長年グレードレースで勝てない時期が続いていました。「SGどころか、G1でも優勝できないのは何故なんだろう・・・!?」と、深く悩んでいたそうです。
そんなある日、先輩である丸岡正典選手(SG2回優勝)に、ふと「お前は艇の前に乗りすぎ。もっと後ろに乗らないと駄目」と言われたそうです。
そして、試しに艇の後ろに乗って走ってみたところ、重心が艇の後方に行き、前の舳先が少し上がるようになり、ターンの感覚が全く違ったとか。
このように艇の後方に重心をかけて、舳先を上げてターンするテクニックは「ウィリーターン」と呼ばれます(バイクが前輪を持ち上げて走っているのと似ていることから)。
艇の底面と水面の接する面積が小さくなるため摩擦が減り、艇の向きを変えるのに都合が良く、トップクラスの選手の間ではよく知られている技術でした。
それから馬場選手は、ウィリーターンを練習。実際に試合でも使い始めました。
すると、2018年のチャレンジカップ初制覇を皮切りに、グレードレースで次々に勝利。一般戦でしか勝てなかった時期が嘘のような実績を上げ続けています!
過去3年の実績
「ウィリーターン」を得て、勝ち方を覚えた馬場選手は圧倒的に強く、これから「馬場貴也の時代」が始まるかもしれないと言われています。
2022年:最優秀選手
2022年は、びわこG2・下関G1・戸田G1、そして常滑で行われた第69回ボートレースダービーで優勝。2023年1月、日本モーターボート競走会から最優秀選手に選ばれました。
とはいえ、グランプリを賞金ランキング1位で進出しながら、トライアル2ndは4位・4位・1位という結果に。優勝戦は6号艇から出走、意地をみせて2着に入るも、白井英治選手にグランプリ覇者+年間賞金王の座を最後の最後で奪われるという悔しい1年でした。
受賞の際は、「(ターンについても)まだまだ、もっと精度を上げられると思います」とコメントしていました。
なお、2022年には、競艇の表彰制度の1つであるゴールデンレーサー賞も取得しています。
2023年:峰竜太選手とのデッドヒート
2023年は、8月のボートレースメモリアルで優勝し、秋ごろまでは賞金ランキングのトップを快走。
しかしながら、涼しくなってからは復活してきた峰竜太選手と抜きつ抜かれつで、首位を奪いあう展開に。
11月のSG・チャレンジカップ直前時点では馬場選手が獲得賞金額トップでしたが(約1億3,400万円)、同大会の1日目ドリーム戦でまさかの妨害失格を起こしてしまい、賞典除外に。
結果、同大会の優勝戦できっちり2着につけた峰選手に賞金額を逆転され、2023年は賞金ランキング2位からグランプリに臨むことになりました。その後、12月15日に優勝戦が行われたG1・京極賞@丸亀では、1番人気を集めて1号艇から逃げて圧勝。
峰選手と並ぶグランプリの大本命として、大いに勢いをつけてグランプリに突入しましたが・・・
12月21日、グランプリのトライアル2ndの初日11R、1号艇から出走した馬場選手はターンマークに接触してまさかの転覆。
妨害失格で減点10となってしまい、いきなりファイナル進出は絶望的に。「滋賀支部初のグランプリ覇者になる」と宣言していた馬場選手ですが、本人にとってもファンにとっても、なんとも残念な結果になってしまいました。
結果、2023年は、グランプリ優勝の石野貴之選手・峰竜太選手に次ぐ、賞金ランキング3位でフィニッシュでした。
2024年:ボートレースメモリアルを連覇も・・・
2024年は梅雨の時期までは一般戦でしか優勝がありませんでしたが、6月の住之江の周年記念(G1)で優勝。
さらに、8月のボートレースメモリアルでは、予選16位も、準優戦では波乱の展開を捉えて6コースから勝利。優勝戦では3号艇から勝利を掴み大逆転、自身5回目のSG制覇を達成しました。
そのまま賞金ランキング1位をキープし、グランプリはトライアル2ndから出場しましたが・・・
3日目の5着が響き、結局は優勝戦は4号艇に(2022年に続き、2度目のグランプリ優出)。
結局、優勝は毒島誠選手にもっていかれ、馬場選手は5着でした。どうも住之江とは相性があまり良くないようです(2nd参加組でも1人だけ当地勝率6点台)。
2025年:大スランプと復活
手がかかったグランプリを逃したのが響いたのか、2025年に入ると一転して馬場選手は不調に悩まされます。
なんと、2024年9月のメモリアル制覇以降、一般戦も含めて、まったく優勝できなくなりました(特に、2025年5月のオールスターからは4節連続予選落ち)。
過去最大のスランプに悩む馬場選手に手を差し伸べたのは、兄弟子の守田俊介選手。景気づけに食事に誘ってくれ、親身に励ましてくれたそうです。
その甲斐あってか、2025年7月に地元・ボートレースびわこで開催された「全国ボートレース甲子園」(G2)では、2号艇から意地の優勝。
多くの地元ファンの祝福を受けて、思わず感極まる姿をみせていました。
続いて、同じく7月の第30回オーシャンカップは、西山貴浩選手にわずかに届かなかったものの、優勝戦で2号艇から2着でした。
9月の住之江で開催された高松宮記念特別競走(G1)では、初日から5走連続1着を決めて予選をトップ通過。優勝戦も1号艇からのイン逃げで勝利、完全復活を印象づけました!
2025年グランプリではトライアル2ndから出場。優勝戦までコマを進めましたが、6号艇からの4着に終わり、グランプリ制覇は来年以降の目標となりました。

スランプを乗り越えて、完全復活の馬場選手。滋賀の最強支部長、最速の走りが戻ってきました!!
馬場選手の人間としての魅力

馬場選手の艇の整備力と操作力は人並み外れたものがありますが、家に帰ると2人のお子さんのパパであり(2012年5月に結婚)、大人しくて優しい性格のようです。
馬場選手の弟子・澤田尚也選手(滋賀支部、5017)は、師匠について、次のようにコメントしています。
・・・と、馬場選手のターンに惚れたのかと思いきや・・・
また、馬場選手は、定期的に滋賀県に寄付を行っていることでも知られています。
いわく、「レーサーとしての自分があるのは、琵琶湖にある、びわこボート場のおかげ。自分なりの形で琵琶湖の環境保全と、子育て支援に役立ててもらおうと思って」とのことです。


