2022年11月、元プロ野球選手という異色の肩書きを持つ競艇選手が誕生しました。
その名は、野田昇吾選手。
つい数年前まで、埼玉西武ライオンズの中継ぎ投手として活躍していた選手です!
この記事では、野田選手が競艇選手に転向するまでの経緯と、現在の活躍についてまとめています。
野田選手の経歴
野田選手は1993年生まれ。福岡県の糸島市出身です。
5歳から野球を始め、鹿児島実業高から西濃運輸を経て、2015年のドラフト3位で埼玉西武ライオンズに入団しました。同じ年のドラフトには、現レッドソックスの吉田正尚選手(オリックスが指名)などがいます。
背番号は23。入団時のサイン色紙には「即戦力」と書き、「高校の先輩である杉内投手のように、制球が良くて勝てる投手になりたい」とコメントしていました。
なお、野田選手の身長は167センチであり、当時の現役選手で最も低かったとか(長いプロ野球の歴史の中では、156センチの投手もいたらしいですが)。
貴重な中継ぎサウスポー
中継ぎ左腕として期待された野田選手(もともと右利きでしたが、野球で有利な左利きに矯正したそうです)ですが、ルーキーイヤーの2016年にさっそく初登板を果たしました。
2年目の2017年には、開幕一軍からのプロ初勝利を達成。防御率1.98の好成績を残し、オフにはアジアプロ野球チャンピオンシップの日本代表に選ばれました。
翌2018年には58試合に登板するなど、フル回転。19ホールドを達成するなど、チームのリーグ優勝に貢献しました。オフの契約更改では、推定年俸3,000万円の評価を受けました。
しかし、野田選手のプロ野球人生は、このあたりで転機を迎えていたように思われます。
後に野田選手自身、印象に残った試合として2018年6月の阪神との交流戦(満塁弾を打たれ、先発の勝ちを消した)を挙げていますが、ファンからも「肩の故障で球速が10キロ落ちた」など、厳しいこと言われるようになります。
翌2019年は、23試合のみの出場と出番を大きく減らし、2ホールドという成績でした。
2020年の明暗
迎えた2020年の元旦。野田選手は、声優の佳村(よしむら)はるかさんと入籍したことを発表しました。
入籍当時、野田選手は26歳、佳村さんは33歳なので、少し姉さん女房ですね。
佳村さんはアイドルマスターのキャラクターなどを演じていることで知られており、始球式などライオンズ関連の仕事を受けていたことが、出会いのきっかけだったようです。
夫婦の間には、2021年7月に第1子となる長男が誕生したことが発表されています。
戦力外通告
そんなプライベートでの幸せの一方、野田選手は、野球では苦しみもがき続けます。
2020年はわずか3試合のみの出場に止まり、2軍でも不調が続きました。
そしてオフに入った11月12日。
野田選手は、携帯電話が鳴らないことを祈っていました。
翌日から秋季練習が始まるこの日の18時までに戦力外通告の電話がこなければ、来年もプロ野球選手を続けることができます。
しかし、無常にも、18時を少し回った頃に着信あり。
翌日、球団から戦力外通告を言い渡されてしまいました。
野田選手は、現役続行を目指して合同トライアウトにも参加しましたが、獲得の意向を示す球団はありませんでした。
12月には現役引退を発表。
プロ野球選手としての5年間の通算成績は、144登板、4勝1敗1セーブ26ホールド、防御率3.09でした。
競艇選手への挑戦
結婚した2020年に、まさかの暗転を経験した野田選手。
大多数の引退したアスリート同様、このまま忘れられていくのかと思いきや、2021年7月、ボートレーサー試験に合格したことを発表。世間をあっと驚かせました。
プロ野球選手から競艇選手への転身は、野田選手の前は、1947年に元阪急ブレーブスに入団した早瀬董平選手(登録名は早瀬猛)まで遡るそうです。
これは、ボートレーサーの要件に、30歳未満・身長175センチ以下・体重57キロ以下などがあり、身体が大きい選手の方が活躍しやすいプロ野球選手とは相容れないからだと思われます。
上で書いた通り、野田選手は身長167センチ。また、戦力外通告の時点で27歳だったため、すぐに競艇選手への転身が思い浮かんだそうです。
ルーキーイヤーの2016年にチームメイトに誘われて競艇場に行ったことがあり、それ以来、もし早い段階で野球を辞めることになった場合、競艇選手の道も考えていたようです。
問題となったのは体重ですが、なんと半年間で23キロの減量に成功(75キロ→52キロ)。食事は野菜か豆腐(たまに鶏肉)で炭水化物はナッツのみ、毎日5キロ~10キロのランニング、サウナ12分×5セット以上という超過酷な減量を行ったそうです。
その結果、1,197名(その他、特別試験にて2名)の応募者から約24倍の競争に勝ち抜き、52名(うち女子10名)の合格者に入りました。トップクラスのアスリート経験者が対象の特別枠で、1次試験のみ免除だったようです。
2021年10月に行われた「第131期選手養成訓練入所式」では、新入生代表として、「ボートレーサー養成所に入所した誇りを胸に、諸規則を守り、礼と節を重んじ、立派なボートレーサーになるため、日々努力することを誓います」と誓いの言葉を述べています。
ボートレーサー養成所は、過酷な生活かつ厳しい競争で有名です。野田選手は、入所後の朝6時起床の生活に慣れるため、野球選手を引退後、毎日4時に起きてスーパーでバイトしていたとか。
そして2022年9月、晴れて養成所を卒業。修了式までたどり着くことができたのは、同期のうち25人のみ(うち女子6人)でした。なお、同期のチャンプは、石渡鉄兵選手の長男・石渡翔一郎選手です。
最年長の野田選手にとって、元プロ野球選手というプライドを捨て、高校以来の丸刈りとなり、エネルギッシュな10代~20代前半の若者たちに混じって競走に勝ち残るのは、並大抵の苦労ではなかったと思われます。
妻の佳村さんに「家族のため競艇に挑戦したい」と言ったところ、「命がけの世界、家族のためを思うなら安全な職業に就いて」と反対されたそうです。ただ、最終的に「自分のためにやって欲しい。そうしたら応援する。今後の人生で後悔して欲しくないから」と言われ、奮い立ったとのこと。
競艇選手デビュー戦
2022年11月3日、戸田競艇場の一般戦「第3回日刊大衆杯」で、ついに競艇選手としてデビュー。
登録期は131期、登録番号は5259、所属は埼玉支部。野田選手は福岡出身ですが、埼玉西武ライオンズに愛着があり、埼玉支部にしたそうです。
野田選手のデビュー戦は6号艇から4着という結果でしたが、一般戦とは思えない盛り上がりでした。
ライオンズのユニホームを着て応援に来たファンも多く、ファンファーレが鳴ると大きな拍手が起きていたほか、球界からも様々な祝福が届きました(下は恩師のライオンズ元監督の辻発彦氏のツイート)。
ビッグボス・新庄剛志日本ハム監督からもエールがあったほか、親交があった千賀投手は、なんとデビュー戦に10万円分の舟券を購入。
単勝は野田選手が2番人気だったそうです。
2023年6月にはプロ野球の始球式に登場!
2023年6月9日、ベルーナドームで行われた西武×ヤクルトの交流戦では、野田選手が始球式を務めました。
名前は「のだなのだ」、背番号は登録番号の「5259」が書かれたユニホームで登場。外角高めのボール球でしたが、現役アスリートらしい力のある一球を投げ込みました。
客席には、野田選手のタオルを持った観客もちらほら。投球後、野田選手は、「現役時代が蘇りました。もう何球か投げたいという気持ちでした。プロ野球選手時代以上の活躍をファンの皆さまにお見せしたい」とコメントしていたとか。
2023年7月9日、ついに初勝利!
デビュー後の野田選手ですが、2022年11月のデビュー節(戸田)の3戦目でフライングしてしまい、12月に蒲郡のレースに出走後、フライング休みに入りました。
その後、各地を転戦して数々のレースを走りましたが、一度も舟券に絡むことが出来ませんでした(競艇は、新人はしばらく外コース回りで、なかなか勝てない)。
しかし、フライング持ちにも関わらず、野田選手は隙あらば6コースから1マーク内に切り込む走りを見せており、展開次第では3着以内もあると言われていました。なお、その知名度もあり、確率以上に人気になることもしばしば。
そして、2023年7月6日から戸田競艇場で開催されていたアサヒスーパードライカップ(一般戦)の最終戦(7月9日)の第1レースでのこと。
5号艇で出走していた野田選手。コンマ07のトップスタートから見事にまくりを決めて、デビューから通算101走目で、待望の初勝利を挙げました!!
野田選手は「(初勝利は)100走目が良かったですね!焦らずそのときがくればと思っていた」とコメント。初勝利を祝う水神祭が行われ、仲間達によって水面に投げ込まれていました。
辻発彦氏からお祝いのツイートが届くなど、野球界からも祝福が届いていました!
おわりに
野田選手には、様々なスポーツ経験者から、「野田選手を見て、競艇選手を目指すことにしました」というメッセージが届くそうです。
野球以外のプロ選手から転向は、元プロボクサーにして元ミニマム級王者・金光佑治選手などがいます。競艇選手は減量が重要であり、ボクサーの経験が活かせそうですが、金光選手は1勝という戦績で引退していまいました。
舟を押さえる筋力など身体能力、一瞬の反射神経など運動センス、またマウンドで培った度胸で、野田選手は競艇界でどれだけ活躍できるでしょうか。
2024年4月にはスポーツ評論家の里崎智也氏と対談し、そのトーク力に感銘を受け、「ボート技術とともにトーク力を磨きたい」とコメントしていた野田選手。
プロ野球ファンも非常に注目しており、野田選手の存在が競艇界をますます盛り上げてくれれば良いですね!
いったんプロ野球で夢破れても、勝負の世界に身を置き続けることを選び、次の人生に果敢に挑戦する野田選手を応援していきます!